老坑・坑仔巌坑 など 完全閉鎖へ
坑仔巖・麻子坑等は爆破封鎖、老坑は水没封鎖
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端渓 新資料の流れ 〜  2007年         2007年、そして値上げへ・・・・
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老坑環境の激変画像へのご案内
老坑 2007年
国から任命された端渓坑の管理者は、中国政府 及び 中国人民の貴重な財産「老坑原石・坑仔巖原石・麻子坑原石など」を「盗掘から守るため、そして治安維持を図るため」坑仔巖・麻子坑等は坑道を爆破し完全封鎖、そして老坑、老坑坑道を爆破すれば後代に多大の影響を及ぼしますので、老坑へ入る入口真前の端渓渓谷を流れる小渓流を堰き止めて小型の人工湖を造り、それにより盗掘者の老坑坑口への侵入を防いでいます。
坑口から採掘箇所へ至る坑道を爆破封鎖し完全封鎖した積もりだった坑仔巖は、更に爆破することで侵入口を開け盗掘を繰り返す者が現れ、その一人は爆破時の何らか(中国現地報道ではガス中毒)が原因で現場で死亡するなど混乱している様子です。
2006年10月09日の現地新聞広州日報にも取り上げられた「盗掘者」は後を絶たず、老坑管理者から許可さえもらえば自由に出入りでき、多くの端渓専門家・愛好家・関係者の皆様をご案内した老坑行定番のコース、羚羊峡北側の船乗り場から西江を横切り上陸していた峡南の、老坑へ至る小径へと続く南嶺斧柯山の船着き場からは老坑・坑仔巖坑、老坑旧入り口から新入口、坑仔巖に至る小径に入れなくなっています。
閉鎖された老坑へ至る船着き場の少し西に新たな船着場が設けられていますがここは肇慶の街中から出る大型観光船専用の船着き場です。
その船着場から上陸する場所は老坑・坑仔巖坑口とは小渓流を挟んだ端渓渓谷西サイドで、小渓流西側は新しい飯店(ホテル)・レストランなどが設けられ、端渓を流れる小渓流を含む東側は小湖として再開発され完全に観光地化しています。
端渓渓谷を流れる小渓流を堰き止めできた人工湖は「紫雲湖」、老坑をはじめとする端渓名硯を輩出した「端渓渓谷」は「硯坑紫雲谷」とその名を変えられ既に観光の新名所と化しました。
以下は封鎖へ至る流れです。
老坑閉鎖に始まり、坑仔巖・麻子坑・宋坑、そして「端渓全坑閉鎖」は「端渓各坑の過剰採掘=過剰在庫の調整」と考えていましたが、これにプラスして「原石の盗掘防止策」も閉鎖の大きな理由の一つであることは間違いなさそうです。
端渓全坑閉鎖の約10ヶ月前、2006年10月09日、現地新聞「広州日報インターネット版」にこれら現地状況を掲載したものを見つけました。
広州日報インターネット版該当頁へ
                  
  広州日報掲載記事の訳文です 
端渓硯石の盗掘状況 2006年10月09日

先日、端渓硯石の盗掘により死亡事件が発生した。原因は洞窟を爆破した際のガスで窒息死の模様。
長期に渡たる端渓硯石の盗掘状況が再度注目され、肇慶市国土・公安等部門が最近聨合通告を発表した。
肇慶市内の硯石資源の一切発掘禁止、そして盗掘行為に対して厳重に処罰することを再度通知した。
端渓硯石に関して詳しく現状を聞くと現在老坑は盗掘防止のため水没させられている。
他の硯坑(坑仔岩、麻子坑、宋坑、盤古坑、緑端石等)もほぼ盗掘にあっている。
本来名坑の採掘は100メートルまでが、現在200メートル以上を堀下げている。
麻子坑は採掘が過ぎ、良質の石は絶滅状態になっている。
2000年度に中国政府が採掘禁止をした後、ある程度の硯石資源が保護されたが、それでも盗掘現象は頻繁に発生、最近ひどくなる一方。
ある統計によると、坑仔岩の洞窟封鎖後に発生した硯石の盗掘数量は5万キロ以上で、その他の麻子坑、宋坑、緑端石、梅花坑の盗掘数量は数万キロに上り資源損失は深刻であった。
肇慶市政府は盗掘の取り締まりを強化していったが、資金、人力不足の問題で大規模盗掘に対する手立てがないのが現実である。
また盗掘の手段として爆薬を使って採掘することは硯石の質に重大な影響を与え、安全面からも非常に危険な行為である。

そして、2004年に肇慶市は“中国≪硯都≫”に指定され、端硯のブランドと共に全ての端硯の価格がどんどん上昇し、今に至っている。

2007年9月10日到着情報 ⇒ 端渓各坑 全坑≪封鎖≫中 !!!
2007年8月中旬 坑仔巖・麻子坑共に閉鎖 との第一報が届く。
すぐ詳報を依頼、待つこと数日、2007年9月10日、
以下の≪通告書≫が届きました。

左の要約です。

坑仔坑麻子坑硯石鉱爆破封鎖通告

最近、硯石鉱区“坑仔” “麻子坑”にて非合法の破壊、採掘行為が発生しました。
硯石資源の秩序が乱れ国家の利益が侵害され、社会安定に悪影響を与えました。
よって、硯石資源の盗掘、事故の発生を防ぎ硯石資源を守るため、
肇慶市、高要市両行政の指示、
及び国土資源監督機関、公安等部門の要請により
現硯石鉱区の“坑仔” “麻子坑”
全面爆破封鎖を行います。

作業は8月10日から9月20日、
期間中関係者以外は立ち入り禁止になります。




高要市国土資源局
二〇〇七年八月六日
前段の「端渓全坑閉鎖中」の状況下、
まして老坑・坑仔巌坑などの管理者は中国政府なのですから、肇慶の端渓硯関係者にとって次回の採掘許可が何時になるのか全く予測出来ない状態です。
硯材を過去に如何に大量に購入していた肇慶の端渓硯廠であるにしても今後の経営に当たって現在庫品を大事にする販売策をとるものと考えていました。
しかし、この現状にも拘わらず、2007年10月20日頃から「佳い硯材があるから契約しないか」との連絡が何度も届き、弊社の通常端渓の各坑・各吋の在庫量としてやや品不足気味のものの契約に肇慶硯廠の薦めるこれら≪佳い硯材≫を加えて契約しました。11月20日頃通関・到着する予定です⇒11月19日到着済み。
この契約に当たっては、坑が封鎖され「採掘の見通しは全く立たない」状況にもかかわらず、何故か販売を急ぐ様子を感じました。
1999年の「老坑原石盗難騒ぎ」、それに続く「水が引かないので閉鎖を解けない」の情報が実際は「老坑の過剰採掘、過剰在庫を表沙汰にしない工夫」であったのではないかとの疑いが強まる今、
「中国政府の国家利益を守り、治安維持を進めるための全坑爆破封鎖」と言う荒っぽい対策の取り方の真の目的は「老坑盗難事件を契機に採掘を中断したのと同様の在庫調整策」ではないか、との疑問がどうしても強くなってしまう現況です。 
2008年8月末、肇慶の端渓工場から
「老坑、坑仔巖の逸品を、それも6吋程度の大きさも混ざるが中心は10吋クラスのものを、大至急契約して欲しい」とのメールが届きました。 
弊社とは長い付き合いのあるこの工場がこれほど契約を急ぐことは異例中の異例です。
それも採掘が全面禁止になった端渓各坑、その中でも特別人気の高い「老坑、坑仔巖」に限定しての緊急オファーです。このような形のオファーは在庫が十二分に有ることの裏付けと考えられます。
やはり、採掘禁止は「採掘環境の大幅な改善による過剰採掘の後始末、在庫調整である。」との見方が有力になってきました。

⇒⇒⇒⇒⇒以上は1年前のことでした。
価格構成は在庫量の多寡に委ねられるだけでなく他の要因により変化する。
当たり前のことですが2008年から2009年、この一年間の驚くべき契約環境の変化です。
充分すぎる在庫を持っていましたので久しぶりに契約しようとしましたら・・・イャ、驚きました。
中国貿易を初めてほぼ40年、みなせの端渓契約がほぼ一年間開くことは輸入開始当初の1〜2年以外では初めてのことでした。
  ⇒ 2009年8月〜 
  
老坑・坑仔巖など閉鎖、現地≪画像≫ 2007年12月 到着の画像へ
老坑へ至る旧船着き場は・・・、新船着き場は・・。
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肇慶 硯坑 & 契約価格の状況 
2009年8月 〜

在庫が減ってきた硯の「在庫数調整のための発注」を肇慶へ出しました。
1年前には「少しでも多く、少しでも早く契約し、その契約を実行してほしい」であった現地硯廠の様子が違います。
「希望の端渓各坑・各サイズのOFFER価格と契約可能数量の一覧表を送る。その内容でよければ契約する。」
一覧表の価格は全て上昇しています。
硯坑によりUP率はまちまちですが、その多くは驚くような上昇率です。
中には「石料=原石の価格不明」として「価格」のない種類もあります。
前年度OFFER価格に少しでも近づけるよう交渉を開始しましたが、やはり以前とは反応が異なり頑として受け付けません。
長い付き合いであること、硯を取り巻く日本の環境等々などを以て交渉を続け当初OFFERよりは少し下げてくれましたがそれ以上は「駄目」と言います。
「これより安い価格なら契約しない」と言います。

原因はどうも端渓各坑採掘済原石の在庫数を適正量に戻すための全硯坑強制閉鎖。
この閉鎖による盗掘の解消により、
国の財産である「老坑」「坑仔巖」、そして新たにこれに加わった「麻子坑」、
これらの原石を硯に仕上げ「販売した代金」のうち一定率を国に収めるわけですが、盗掘硯材を使用していた時は正規の原石在庫量に変化はなく、国に納める金額も発生しませんでした。
この「納金」が硯価格上昇原因のひとつ。
また、一部の硯廠とはいえ正規老坑機関に老坑硯材を求めず「盗掘硯材」のみを利用していた所は、その提供源である盗掘がなくなり正規の老坑硯材の使用をせざるを得なくなり、今までは無縁だった「国への納金」が避けられなくなった。これら硯廠はやむなく契約価格を上昇させた。
彼等は、その価格で契約出来るかどうか心配していたが値を上げる前と大差ない契約が出来、注文も変わらず入る。
彼等はこの高い契約価格で成功したことを周辺に自慢する。
周辺の硯廠もこの契約価格を参考にし契約に望む。
これが硯価格上昇原因のひとつ。
主採掘箇所が「住宅地・別荘地」になってしまった「宋坑」はその原石を確保している唯一の者が設定する価格を呑まねば手に入らなくなった。
これが宋坑大幅アップの原因のひとつ。
更に、盗掘が出来なくなったことによる手持ち在庫の減少。
中国流表現(白髪三千丈・・・)で、まだ原石は25年程度販売出来る在庫がある、としていた硯廠も、前述のようなことで、実際の在庫量はどうやら15年程度かそれより少ないレベルにまで減ってきている硯廠もある様子です。
一部の硯廠は手持ち原石が少し寂しくなってきた。
全硯坑閉鎖なのですから補充の見込みはありません。契約価格を上げるしか仕方がない。
これら硯廠はやむなく契約価格を上昇させた。
彼等は、その価格で契約出来るかどうか心配していたが値を上げる前と大差ない契約が出来、注文も変わらず入る。
彼等はこの高い契約価格で成功したことを周辺に自慢する。
周辺の硯廠もこの契約価格を参考にし契約に望む。
これが硯価格上昇原因のひとつ。
以上+ハッキリとは知り得ない諸々により、端渓契約の環境は大きく変化しました。
みなせ筆本舗は、端渓の直輸入・卸元として十分な硯を確保しています。
しかし、少し長期で見た見通しは「五里霧中」状態です。
2009年10月 〜

端渓硯産地として変化が避けられなくなった肇慶最新情報の一端が入りました。

端渓採掘全坑閉鎖に伴い、2007年の初めに「国営端渓廠=国営端渓工場」は既に閉鎖されていましたが、2009年10月、まもなく「元国営の端渓硯工場倉庫」も閉鎖、不動産開発会社に買収されることになりました。
国営端渓工場閉鎖後もこの倉庫に保管されていた原料=硯材=硯原石が売られることになり、みなせが長年お付き合いしている端渓廠がこれらの買い付けに成功しました。
工場から、
買い付けに成功したのは「国営工場がまだなんとか活動していた1995年前半ころ、日本へ輸出していた硯の原石⇒≪坑仔巖坑逸材の原石≫です。石の質はとてもよく・・・」、・・・と佳材の買い付けが出来たことを喜び自慢すると共に、買い付けで手元資金が苦しくなった。これの幾らかを契約して欲しい。」とオファーしてきました。
坑仔巖硯のみなせ在庫は2009年10月現在で「600面程度」は有るのですが、折角の工場申し出ですので、特に弊社在庫過多なもの以外のもので、オファーしてくれた総硯数の約80%を受けると返事しました。
原石を硯に仕上げるのには多少の時間を要しますので、2010年初めころまで出荷は待ってほしい、少しでも早い出荷ができるよう努力する、との工場返事です。
 2010年2月末、契約の現品第一陣が到着しました。
老坑に次ぐ貴重な硯坑「坑仔巖」、坑仔巖坑の採掘も他の端渓坑と同様に全面的に禁止されてしまった今となれば『更に』貴重な原石。
この原石を有効に生かそうとする意識が強過ぎたのか『端渓の常識的な寸法⇒硯の縦横の比率』から見ればかなり縦長の作硯(天地の長さに比べ横幅の狭い形状の硯)も散見される商品内容です。
硯の質は正に「≪坑仔巖坑逸材の原石≫による作硯で、「国営坑仔巖倉庫に保管されていた石の質はとてもよく・・・」との触れ込み通り「十二分に満足出来る逸品揃い」でした。
第一陣に遅れること3ヶ月強、2010年6月、契約品のうち作硯が遅れていたものが第二陣として通関・入荷しました。この入荷で今回の契約全量が届いたことになります。
石密度の高い佳品ばかり、且つ、第一陣到着硯の中には「硯天地に比し巾の狭い作硯」の坑仔巖硯が混在していましたが、この内容に大して端硯廠に出した「注意」が功を奏したのか、実用に使いやすい堂々とした作硯の硯ばかりです。
  
北嶺で最後まで採掘されていた「宋坑」の坑周辺も2000年過ぎには既に「住宅用地」へと土地使用目的が変わり、歴史的な宋坑の坑から宋坑採掘はできなくなっていましたが、
老坑・坑仔巖を主に扱う「国営端硯廠工場」の閉鎖に続き「倉庫」も不動産会社に売却され、
肇慶周辺は「広州市」の住宅地、更には成功者の別荘地としての開発がますます進んでいるようです。更に「自然環境保全」との大儀がこの地を含む端渓全体の採掘再開を困難にしています。

南嶺の「老坑採掘坑跡」は既に「端石老坑洞遺跡」に変わり、老坑を含む坑仔巖坑などの土地使用目的も「観光の為の土地」に指定替えされています。
2009年12月14日着 肇慶情報 国営端渓硯倉庫、同硯工場に関して

中国「端渓硯」国営硯工場 & 同倉庫の情報(弊社長年お付き合いの肇慶硯工場より)
(肇慶から届く情報のその時点時点の内容をそのまま掲載しています。前項までのご案内と日程等に多少混乱がありますが新着情報内容がより正しい情報、と捉えて下さいますようお願いします。)

1)1995年
当時は、端渓各坑のうち「老坑」「坑仔巖坑」二坑は採掘・原石の品質検査・原石販売・原石価格共々国家管理下にありました。
そして、この1995年には「老坑・坑仔巖坑原石」を硯に仕上げる国営硯工場は既に閉鎖されていました。
それまでも「老坑・坑仔巖坑の原石」の保管・供給は全て国営倉庫が取り仕切っていたのですが「原石」を発売した先の「民間硯工場」の力に押され国営硯工場は何とか生産を続けていた程度だったのです。

2) この国営工場と国家が認めた民間の硯工場に二坑の原石を供給していた「国営硯倉庫」の多くは1998年に閉鎖されました。それ以降は比較的小さい国営倉庫のみが継続され硯材を在庫し民間硯工場へ供給してきました。

3) 2003年には、すべての国営工場及び国営倉庫の土地が不動産業者に払い下げられ、一部の倉庫に少しだけ石材を置くことが許されました。
この時点で「国営倉庫」に在庫されていた≪大きな≫老坑・坑仔巖坑の石材はすべて売却されました。

4)  2009年秋、2003年の売却を免れた国営倉庫在庫の老坑・坑仔巖坑硯材全てが売却されました。

★ 弊社が長年契約を続けている「肇慶」の硯工場は、
1995年の払い下げ時に老坑・坑仔巖原石の幾ばくかを買い付けし、今回2009年の国営倉庫最終在庫整理に当たっては坑仔巖坑の「精品原石」を、少しですが買い付けることに成功しました。
この買い付け成功と同時に弊社へ「契約しないか」とのオファーが入りましたので、無論のこと、オファーしていただいた原石を契約いたしました。このオファーから契約、通関の流れは前項でご案内しています。 
『老坑の鉱脈は尽きた』との根も葉もない流言が飛び交う端渓事情ですが、
『老坑水没閉鎖』と言う強硬手段で盗掘を防がねばならない現実は、
『老坑鉱脈は健在である』
この事実の裏返しであり、『老坑鉱脈は尽きた』の流言を明確に否定するものです。
 
2009年末、係る端渓情報以降到着の肇慶情勢は「端渓原石採掘全面禁止」以上には進行しえず、又採掘再開への道筋は全く見えないままでした。
新展開の兆候が見えます迄、或いは何らかの噂が生じます迄しばらく休憩いたします。
有難うございました。
  
⇒ 2011年4月 契約予定の「老坑精品」を検品するため肇慶へ入りました。
端渓渓谷の利用目的を伝統の「端渓採掘の地」から「景勝地 紫雲谷」と、「銘硯端渓」をメインテーマにした景勝地「紫雲谷」との名に変更されたのはご案内いたしました通りで「端渓遺跡」との碑文もドッシリと建立されています。ホンの数年前まで老坑をはじめとする端渓原石を採掘していた地は端渓(硯)の「遺跡」とされ景勝地に衣替えされる予定です。

いつもの肇慶端渓硯廠で契約予定の老坑を検品、これに加え新たに原石倉庫から運び出してくれた老坑、坑仔巌の精品原石も検品し、検品終了後かつての老坑採掘渓谷「端渓」⇒変更された名前≪紫雲谷≫を訪れました。画像などへ           山口j一(山口そう一)
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