ウイキペディア(Wikipedia)の「画仙紙/宣紙」記載に関し
以下、 |
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色枠内が≪(ウイキペディア) 画仙紙≫の弊社更新追記で、併せウィキペディア記載も更新しました。↓ |
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画仙紙(がせんし)とは書画の用紙のうち大き目の紙を指し白系の色合いを主とするが、紙料により、又同一紙料を用い製紙した画仙紙も、紙料の晒しの程度により、素材により色を帯びた画仙紙も数多い。
また、安徽省烏溪(“烏城”とご紹介してきましたが通訳違いで“烏溪”が正解でした)一帯で製紙する(ケイ)県宣紙に限っては「白」が主である。
烏溪 |
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県宣紙廠の漉き職人さん達が浙江省工芸品公司との打ち合わせに杭州を訪れ、打ち合わせの後の恒例宴会。
この時も、たまたまとは言え浙江省に留まっていた私にお誘いの電話が浙江省工芸品公司から入りその宴席に出席しました。
当時は、県宣紙の、その中でも紅星牌宣紙廠の製紙方法=「紙の大きさに応じた複数の漉き職人が呼吸を合わせ一枚の紙を漉く」。この「複数の紙漉き職人により一枚の紙を漉く」と言う製紙方法が門外不出の秘法とされていた頃でした。しかし乍ら、宴が進みアルコールが進むとともに「門外不出の製紙方法」は、極々普通に語られ、宴に参加している者全員周知のこととなっていました。
この時の漉き職人さんの一人が、「烏溪」で漉いている、と言いましたので「県宣城で漉く」と聞いてきたが・・・、と質問したところ、「その地を私たちは“烏溪”と言う」、と説明してくれましたのでここでは「烏溪」を使用しています。 |
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画仙紙の基本規格に小画仙紙、中画仙紙、大画宣紙の三規格がある。雅仙紙・画箋・雅箋・雅宣とも書かれる。 |
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書画を書くことを主目的に作られてきたこれら大型の紙の発祥地「中国」ではこれらを総じて「書画紙」と呼び、書画紙のうち産地を限定したものを「宣紙」と呼んできた。
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限定した産地で製紙される書画紙を「宣紙」と呼ぶが、この宣紙産地製ではない地域で漉く一部の書画紙にその土地の名を冠し≪※※宣紙≫と名付けることがある。 |
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現在の安徽省県地域(旧名“宣城”地域)の周辺一帯は良質な宣紙の原料になる青檀の木≪楡(ニレ)科青檀属 青檀。
別名「翼朴」 高木⇒16~20メートルに達する≫が自生する。 |
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この青檀の木を主原料に藁(ワラ)を加えて作られた紙が現在に続く宣紙の元であり、旧地名「宣城」一帯で生産されたので「宣紙」と呼ばれた。
撥墨の佳さを求め、墨の持ち味、墨色の変化をよりよく表現できるように長年に渡る研究が続けられた結果開発された書画を書くことを主目的にした大型の紙。この「宣紙」と言う呼称が現在の日本の呼び方「画仙紙」という表現につながる。 |
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中国で「“宣紙”を冠される紙」はその伝統的産地「宣城」、現地での地名は「烏溪」で伝統手法に則り生産される紙に限定され、中国安徽省≪涇県(宣州)≫で製紙する紙なので宣紙と呼ばれたが、高名な“宣紙”名(ブランド)を利用し他産地の紙に「宣紙」を冠する製品が古くからあり、福建省の“福建宣紙”が有名である。 |
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↓ 2020年8月2日。“宣紙の謂れ”にかかるご意見を、郵送にていただきました。 以下 ↓ |
≪宣紙≫の謂われに関するご意見をいただきました。
この頁で掲載してきました「宣城で漉くから宣紙」との、現地・現場の漉き職人さん達から聞いた「謂れ」に加え、今回郵送にて「謂れ」をお送りいただきいた方が主張される宣紙の「謂れ」を併せ掲載いたします。
★ 2020年8月2日、竹紙各種の「見本」と「価格表」に加え「見本紙の“説明文”」が送られてきました。
この見本紙の説明に加え記された「宣紙の謂れ」 ↓
下段の |
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内がこの人が主張される「宣紙の謂れ」で、その写しです。 |
中国の高級紙といえば「紅星牌」が有名ですが、弊社の紙は原材料から製紙の工程まで「紅星牌」と全く違います。
また、「紅星牌」の高級紙には、長くても1年間天日晒しの材料を使われていましたが、弊社は全て3年間天日晒しの古法材料を使っております。 本来、宣徳年間(1426-1435)に生産された紙のみが「宣紙」と呼ばれ、質が高く、貴重なものですが、中国安徽省宣城地域は宣紙の発祥地ではありません。 |
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この「宣紙」にかかるご意見の後に、引き続き
「弊社の紙は、腐りにくく長期保存に最適とされ、何十年も前に生産された紙も現在倉庫に保存されています。
また、紙の書き心地は数多くの書道家や水墨画師に認められております。」と記載されています。
安徽省宣紙などの製紙廠で紙を漉く「漉き職人さん達」や「製紙廠の責任的立場にある人」。
これらの製品=宣紙の契約を仲介する工芸品公司。
時により、実際に宣紙を漉く現職の漉き職さんたちから聞いてきた「宣紙の謂われ」とは異なります。
当初期の中国貿易では、中国政府が認めた輸出企業以外との契約が認められていなかったので、契約先となる輸出公司、当時は
紅星牌宣紙の全輸出権を握っていた上海工芸に、時代の経過とともにケイ県宣紙廠にも輸出権が認められ、時の経過にあわせ(ケ
イ)県宣紙との、そして上海工芸との契約に現地へ出向きました。
契約交渉の当初日、或いは前夜。輸出者サイド=上海工芸、時代に連れ安徽省工芸品公司の主催で必ず行われる歓迎宴。
この歓迎宴も更なる時の流れに連れケイ県宣紙廠が主催するようになるのですが、宴会の時々に会う製紙廠の契約実務者や製紙職人さんたち、契約先の現地公司から聞いてきた「(前段記載の)宣紙の謂われ」と異なります。
現地で聞いてきた話の内容を纏めたのが前項「宣紙にかかるご案内」です。
が、今回、突然に「竹紙などの見本紙・見積書」を送付され、その見本の入った封書に同封され届きました「宣紙の謂れ」に記されるこの方のご意見と、弊社がこの頁を含めご紹介してきた「宣紙の謂れ」とは異なります。 どちらの「謂れ」が正しいのか・・・・・・・。 |
以上、「宣紙」との呼称にかかる現地宣城の漉き工場管理者や漉き職人さん、そしてこれらの製紙廠をまとめ輸出する工芸品公司など、宣紙に直接関係する人たちの説明と、今回いただきました方のご意見を併せ掲載させていただきました。 |
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大きさによって大画仙、中画仙、小画仙(画仙紙基本規格)と分けられる三規格が画仙紙規格の基本で、更に丈二宣(約1449×3675mm)、丈六(約1937×5037mm)、壁紙(約1200×2400mm)などの規格があり、製紙の仕上げ方法により単箋、二層、三層、・・・、に分けられる。紙種として夾宣、玉版箋(ぎょくばんせん)、羅紋箋(らもんせん)、豆腐箋(とうふせん)、雲母宣などもある。 |
中国製の本画仙に対し、日本製のものを和画仙ともいい、甲州画仙、越前画仙、土佐画仙、因州画仙などがある。日本では中国で言う小画仙規格が全紙と呼ばれ書道用画仙紙の基準サイズとなっている。全紙(約70×138cm)を基準とし、全紙の縦半分切りは半切(はんせつ)という。横1/2裁断も「半切」のはずだが、これは「半切」とはは呼ばない。これらは業界習慣の継承による。「全紙(約70×138cm)」は画仙紙基本規格の一つで「小画仙紙の全紙」に相当する。 |
また、煮硾箋は「しゃついせん」の読みが正しいとの意見もあるが「しゃすいせん」との読みが習慣的に続いている。
いずれにしても中国名を和読みしているのであり「しゃついせん」であれ「しゃすいせん」であれ、読み手の自由とも言える。 |
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ウイキペディア画仙紙ページの内≪煮硾箋≫に関しまして: |
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みなせは、
1957年にはじまった広州交易会の初期段階の1963年に参加し中国文房四宝の輸入を開始しました。父の時代です。
この中国文房四宝輸入の初期から、多くの中国文房四宝公司、及び文房四宝の生産や輸出にかかる関係者との交流は優に半世紀を超え、担当者や責任者が代替わりした公司がほとんどになりましたがいずれとも友好な関係を保っています。
輸出各公司との直接契約・輸入をはじめてから随分と長い年月が経過しましたが、この間、紅星牌宣紙の輸出権は全て上海工芸が握り、上海工芸の厳しい品質管理に支えられた紅星牌の紙質は、上海工芸の専属契約権消滅以降の時の流れに連れその輸出権は多岐の公司に開放され、紙質管理にも疑問符が付く昨今の凋落した人気とは比較にならない高人気で、紅星牌宣紙は各紙種共に貴重品扱いでした。
弊社の本格的な中国文房四宝契約の取り組みは1973年にはじまりました。
当時は友好商社のみに貿易=契約の権利が与えられていた時代で、縁あって友好商社「関西-遠藤商事」 社長遠藤寛次氏のお世話になりました(遠藤寛次氏亡き後数年で遠藤商事は解散)。
遠藤商事の解散後は同商事の貿易実務を担当されていた元遠藤商事社員の「輸出入業務の専門家」としての助言を受け、続けてきた契約で既に充分な信用を得ていた中国主要文房四宝輸出各公司の後押しもあり、直契約・直輸入をはじめました。
人気の紅星牌棉料単宣や夾宣など紅星牌としてポピュラーな、且つ人気の紙種出品に混じり、稀に出品される紙種に「煮才宣」がありました。「煮才宣」の「才」の繁体字「硾」なら日本読みは「煮硾箋 シャツイセン」ですが、当時は簡体字「才」が用いられ「煮才宣」と表示され、日本人バイヤーの全てがこれを「しゃすいせん」と呼んでいました。
これにより、ウィキペディア既掲載の「煮才宣 しゃついせん」は、半世紀ほど前の読み「しゃすいせん」に編集しよう、かとも思いましたが前述の流れですのでウイキペディアの「しゃついせん」には筆を加えていません。
当時はバーター貿易が対中国貿易の本来であった時代で、県宣紙(=紅星牌:当時輸出される県宣紙=紅星牌でした)全般の輸出権を一手に握っていた上海工芸が、今より数倍も人気の高かった紅星牌の契約に群がる日本の友好商社に、適時契約する量を割り当て契約していました。無論、今の県宣紙の主生産者「紅星牌」を含む宣紙廠群は対外直接商談⇒輸出が許可されていない時代でした。 |
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「センシ、宣紙」: |
「ガセンシ」とは書画を書くための大型の紙を示す「日本における総称」で≪画仙紙・画箋紙・画宣紙・雅宣紙・雅仙紙≫などを主に様々な漢字が充てられ、そしていずれもが「がせんし」と呼ばれてきました。
≪がせんし≫との呼び名へ充てる「漢字」は、現在もまだ統一されてはいませんが「(日本では)画仙紙」が主流になり、次いで「画宣紙」が使用されています。
これにより画仙紙個々に命名される商品名としての画仙紙名も「※※宣」「※※箋」「※※仙」など「宣、箋、仙」を入れた名前の一部に採用した命名が多く見られます。そして、この「宣、箋、仙」などに何らかの「意味(方向)」を持たせ、使用区分けなどの意味を与えようと考慮したとしても、その設定の意味合いは設定者個々の意見を補強する・・・程度の目的に使用されるのが精々の程度で、画仙紙本来の何らかを区分けする、等の意味合いは持ちません。
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★ 「宣」: |
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「宣」の文字を 書画の紙に使用する、特に「宣紙」と表すときに使用されます。 |
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≪宣紙≫の本来意は、「県」宣城で漉く書画の紙のうち、一定の紙料を以て、一定の紙質範囲に漉いた「紙」を意味します。 |
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下段に詳細をご案内します「県宣紙」を示す場合においてのみ使用されるのが本来です。 |
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書画を書くことを主目的に大型の紙をつくってきた、画仙紙発祥の地「中国」ではこれらを「書画紙」と、
そして限定した地で漉き、且つ紙質も一定の範囲下にあるものを「宣紙」と呼んできました。
※ この限定された地、安徽省県宣城烏溪で製紙される書画紙各種が本来意の「宣紙」なのですが、
「県宣城烏溪」以外の地域で漉く書画紙の一部にその土地の名を冠し≪※※宣紙≫と名付ける例が多くあります。
「宣紙」が高品質な紙の代名詞となり「宣城で漉く紙、宣紙」、やがて他の地域で製紙される大型の書画紙にも≪宣紙≫
の名を与える。
そして、本来の「宣紙(=烏溪で漉く書画紙)」ではない他地域の大型書画紙も、多くの場合はその地の名を冠した
「※※宣紙」として、堂々と流通する。長い歴史の中、多民族が出来る限り安穏に暮らせる習慣を組み立ててきた中国
ならでは「※※宣紙」です。
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現在の安徽省県地域(旧名“宣城”地域)の周辺一帯は良質な宣紙の原料「青檀の木(楡(ニレ)科青檀属 青檀 別名「翼朴」 高木⇒16~20メートルに達する。≫が自然に育ちます)」。
宣紙紙料として青檀樹が育てられている丘陵斜面では樹高5メートル前後までに管理された木がほとんどで、その斜面の下草なども掃除され一帯が綺麗に管理されています。 この青檀の木を主原料に稲科植物、主として藁(ワラ)を加え作られた紙が現在に続く宣紙の元であり、旧の宣城一帯で生産されたので「宣紙」と呼ばれました。
撥墨の佳さ・墨の持ち味・墨色の変化・・・をよりよく表現できるように長年に渡る研究が続けられた結果開発された書画を書くことを主目的とした大型の紙。 現在の安徽省県地域(旧名“宣城”地域)で開発され生産されるこの紙が「宣紙」と呼ばれるようになり、現在に続いています。 そして「宣紙」との呼称が現在の日本の呼び方「画仙紙」という表現につながっています。
中国で「“宣紙”を冠される紙」は、基本的にはその伝統の産地「宣城」、現在の「安徽省県烏溪地域」で伝統手法に則り生産される紙に限定されています。しかし、高名な“宣紙”名(ブランド)を利用した他産地の紙の一部にも「宣紙」を冠する例がみられるようになりました。福建省“福建宣紙”がその代表例て、福建宣紙の製紙は1552—1566年ころにはじめられた様子です。 |
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書画を書くのに“最も適した”良質な紙とされる、そして確かに「撥墨」等は評価通りの “県宣紙” |
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// ≪適す紙。適さない紙≫ // |
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紙が適す、適さない、は書・画ともに書き手個々の好みの、同一人が書くとしても制作時による作風差等々の問題です。
が、この「県宣紙」系の紙質を好む人たちの間では現在も、やはり「安徽省県宣紙」が、そして作家・指導者それぞれの作風、或いは指導方針によりこれらとは異なる紙質方向の「楮紙系画仙紙」「麻紙」「因州・伊予・甲州などの和紙」、及びそのの雰囲気を伝える種々の画仙紙、・・・、などがそれぞれの環境下、更には個々の好みの下において重要視されます。 |
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本画仙紙 |
前述のこと、日本では書画のための大型の紙を「ガセンシ」と呼ぶようになり、中国舶載を「ホンガセン=本画仙」と呼ぶようになりました。
「ガセン」の「セン」の漢字にはいろいろな字が当てられました。 |
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ガセンシ |
→ 画仙紙、雅宣紙、画宣紙、雅仙紙、雅箋紙、画箋紙 など |
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ホンガセン |
→ 本画箋、本画宣、本画仙、本雅仙 など |
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「本画仙」という呼び方は日本独自の呼び方で、通用するのは日本、或いは日本ではこれらの紙種を「本画仙」と呼ぶと知っている中国・韓国・台湾などの関係者だけです。 |
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中国には、本来「本画仙」「画仙紙」と言う呼び方はなく、日本で言うこれらに相当する紙種のうち安徽省県で漉く紙、及び県宣紙に近い性質に漉くものを「宣紙」と呼び、この宣紙の産地、安徽省県烏溪地域以外で漉くものの大部分を「書画紙」と呼んでいます。
しかし、「福建宣紙」に代表されるように県宣紙ではないものにも高名な紙種「宣紙」を利用し「※※宣紙」と呼ぶ事があります。 |
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本画仙の意味合い≪本画仙≫ 俗に「本画宣と呼ばれる画仙紙」の紙種の範囲は使用するグループにより異なることが多く、 |
拡大広義 |
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「本画仙 」 の名を幅広い紙種に適用するグループでは「中国で生産している白、又は白っぽい書画用紙のほとんど」を指し、 |
通常広義では 安徽省県烏溪で漉く「県宣紙全般」を、 |
狭義では 県宣紙の中の「棉料単宣」「棉料棉連」を、 |
極々狭義では 県宣紙トップブランド「紅星牌」の“棉料単宣”、または“棉料棉連”」を指す例が多数を占めます。 |
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素紙/加工紙 |
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「素紙」 製造した紙に何も手を加えない紙を指し、「生紙」とも言います。 |
「加工紙」 漉きあげた紙=素紙(生紙)に何らかの手を加えたものを加工紙と言います。
一番多い加工方法が「滲み止め加工」で、実に多様な加工の技法があります。が、「加工紙」とは「滲みを止めた紙」、
との短絡的解釈が比較的多く見られます。 |
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反・包 |
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反/包? |
画仙紙の「1反」は、画仙紙の寸法や包一みの入枚数にかかわらず「100枚」を意味します。 1反=100枚です。 |
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しかし乍ら一例として、 画宣紙基本寸法のひとつ「大画仙紙」の全紙(=3×6尺判)」は伝統的に50枚の包みに仕立てられていますので「2包=100枚」を以て「1反」とします。50枚の「包」は「1反」ではなく「1包」とするのが本来です。
1975年頃から「反」と「包」の意味を混同、或いは誤解し解釈するグループが、更にはこの「混同・誤解」を積極的に利用する勢力が現れました。
画仙紙「1包(=多くは50枚入。包により25枚入など不定)」を「1反」と言い替えることにより「1反=100枚にしては安い」との勘違いを誘発すべく50枚、25枚などの「包」、反=100枚に満たない「包」を積極的に「反」と呼び、「反」と「包」を混同させることによる拡販を狙い利益を上げようとする販路・販店が勢いをつけ、暫く後には「画仙紙に於ける反」の意味を正確に知らず「1包」=「1反」との前程で説明する例が多くなり、以降「反」「包」の混乱が続いています。
結果として、『1反』と表示されても『本来意=100枚』の“反”か、『1包み50枚、・・・』などの反なのかを再確認しなければならなくなりました。
弊社では、H.P.を含め全て「1反」は「100枚」を指し、「包」なら50枚包、25枚包などと、明確な表示を心がけています。
≪画仙紙 ★1反=100枚≫
≪画仙紙 ★1包=(多くの場合)50枚入 稀に「25枚入、20枚入、・・・」等もあり≫
「包」が50枚入でないときは各商品ご案内箇所に入枚数をご案内しています。
表示価格はその単位の卸単価です。
出荷一件のロットが一梱、二梱、・・、・・、などの場合はより安い卸率適用の商品もあります(1梱包=全紙判:基本的に10反、半切20反入りです。しかし、紙種に紙規格により入数が異なる例も多数あります)。 |
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” 画仙紙の基本寸法 ” |
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画仙紙には大画仙(紙)・中画仙(紙)・小画仙(紙)の三基本寸法があり日本で一般的に言う「全紙」は「小画仙(紙)の全紙判」を指します。
小画仙 約70×134~138cm |
中画仙 約83×150cm |
大画仙 約90~97×180cm |
日本で普通に全紙と表現する時の寸法 |
現日本の流通量はごく少量です。 |
俗に「大画仙」「六尺もの」と表現される規格です。 |
又、これら基本寸法とは意味合いが異なりますが、中国安徽省県で造られる画仙紙の代表「宣紙」の規格寸法には 「壁紙=約124×234cm」、現在の中国では「八尺匹」とも呼ばれます。
「丈二宣(丈二匹、丈二尺) 約146×366cm」、現中国では「丈二匹」。
「丈六宣(丈六匹、丈六尺) 約194×504cm」、現中国では「丈六匹」。など特に大きい規格もあります。 |
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1970年代まで「代表的な宣紙工場」は宣紙の製法を秘法とし部外者には見せないようにしていました。
しかしその当時から周辺の紙関係者にとってこの製法は周知のことで、彼らと親しい私たちも当然のことながら彼らが秘法としている製法を知っていました。しかし、製紙にかかる人たちが秘法としているのですからこれを明らかにすることは避けてきましたがかなり広い範囲で知られるようになってきましたので「秘法」ではなくなりました。↓ |
紙を漉く「簀の子」は通常一人の漉き手に委ねられ紙が造られます。が、簀の子の大きさに応じ、例えば四尺全紙「(=小画仙紙全紙)⇒約70×137cm」判を漉く場合は「二人」の漉き手が、紙の大きさにより更なる複数の漉き手が簀の子を操り紙を漉く、これが宣紙製法の秘密です。この為には漉き手の技術が特に優れ、かつ息が合わなければ逆効果、均一・緊密な宣紙は出来ません。宣紙職人の鍛錬のたまもの、これに加え緻密な「簀の子」、これらが相俟って見事な宣紙の製紙を続けているのです。 |
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◎ (伝統に基づく)基本規格 |
(小)画仙紙 全紙 |
約70×135cm |
日本で言う「全紙」の
ほぼ100%がこの小画仙 |
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半切=条幅(条巾) |
小画仙紙全紙の1/2判 約35×135cm |
日本で「半切」と表現されるサイズのホボ100%近くを占める。 |
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全紙「長寸方向1/2判」も「半切」だが「全紙横半分」と表現される例が多い(こちらは 約70cm×70cm弱)。 |
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聯落:全紙の縦3/4巾⇒ 約53×135cm |
日本の書道公募展規格に「聯落巾×7尺5寸」がありこの規格「約53×225cm」を「聯落」と表現する例も多くなっている。 |
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(大) 画仙紙 全紙=六尺判 |
(3×6尺)約90×180cm |
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◎ 前項、伝統の規格に新たに加えられた「使用頻度」と「使用量」に対応した新規格 |
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尺八屏(1.75×7.5尺) |
(俗に言う)ニハチ(28) |
約53×225~7cm |
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★ 条巾? ≒ 半切? |
★ 条巾(条幅) 条巾とは大画仙紙、中画仙紙、小画仙紙の各全紙≪縦半分≫を指し、多くの場合「半切」と同義に使用される。
「半切」の本来意からでは、半切は≪大・中・小各全紙判≫の「縦1/2」「横1/2」ともに指す。 |
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小画仙紙条巾 約35×135cm |
中画仙紙条巾 約41.5×150cm |
大画仙紙条巾 約45×180cm |
★ 半切 ⇒ 大画仙紙 中画仙紙 小画仙紙 各々の縦半分 又は 横半分。 多くの場合は「縦半分」を指す。 |
半切Ⅰ 縦=条巾 |
小画仙紙 約35×135cm |
中画仙紙 約41.5×150cm |
大画仙紙 約45×180cm |
半切Ⅱ 横 |
小画仙紙 約70× 68cm |
中画仙紙 約83×75cm . |
大画仙紙 約90×90cm. |
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以下の全紙・半切・・聯落・全紙長寸は「小画仙」を基本とした寸法で、六尺判は大画仙全紙と同義です。
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大・中・小判=参照:上欄=の各画仙紙全紙判を半分に切ったものを条巾、又は半切・半裁などと言います。
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① :半切・半裁・条幅(条巾) |
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条幅(条巾): |
大・中・小の画仙紙全紙判=参照:上欄=を「縦半分」に裁断したものを指します。 |
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半切(半裁): |
大・中・小の画仙紙全紙判=参照:上欄=を半分に切ったものを半切・半裁などと言います。しかし現在日本で「半切、或いは半裁」と表現する場合、そのほとんどは「小画仙紙全紙判を縦半分に裁断したもの」を指しますので「半切」と「条幅」は同義に使用されることが多くなっています。また同一の意味として説明されることが多くなっています。 |
② |
:レンオチ=簾落(連落、聯落) |
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本来、の「簾落(連落、聯落)」とは
小画仙全紙の巾を1/4(=簾)を落とした残りの約53cm=1.75尺=70cm(全紙の巾)×3/4=のことを言い、長さの規定はありません。しかし、常識的には小画仙全紙の長さ=約135cm=とされています。
1980年代からの公募展規格の影響で下記③の1.75×7.5尺判(レンオチの巾×長さが7.5尺=約225㎝)も只単に簾落(連落、聯落)と表現する場合が多くなり、元々の簾落の意味との間で混乱が生じています。
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③ |
: にはち、 二八、 28、 2×8、 1.75×7.5、 尺八 |
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主たる公募展規定寸法の一つ2×8尺に使用する紙は、作品の出来上がり寸法が2×8尺で、額の枠巾などを考慮し使用する紙の大きさは「規定の作品寸法」より一回り小さい1.75×7.5尺(=約53×226㎝=尺八)であることがほとんどです。
しかし一部ですが、作品の額に縁取りのないパネル状のものを用い、実寸2×8尺の紙を使用さるグループ、又は応募者もありますので「実寸2×8尺」の紙も必要であり流通しています。
これら作品の規定寸法とその中に納められる紙の実寸法の違いを明確に区別せず、実寸「1.75×7.5尺」の紙を「2 8」「二八の紙」「にはちの紙」と表現、「紙の実寸」と「作品全体=額=の大きさ」を混同している例が数多く見受けられます。 |
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これらにより「2 8」との表現であっても必要な紙の実寸が「1.75×7.5尺」なのか「2×8尺」なのか、前述「反」の意味と同様に再確認する必要が生じました。 |
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尺八、尺八屏 |
1970年代頃から日展をはじめとする公募展規定寸法に「60×240cm(作品仕上がり寸法=額外寸)」の規格が設けられました。
この規格に応じた作品紙(本紙)の実寸は(ごく一部の例外を除いて)『1.75×7.5尺』が主になりました。
紙の実寸が「1.75×7.5尺=約53×226㎝」であるにもかかわらず「作品の仕上がり寸法「2×8尺」から「二八(にはち)の紙」とも呼ばれたのは前述の通りで、実寸2×8尺の紙を使用する人たちの表現「二八の紙」との間に混乱が生じました。
この新たな規格「1.75×7.5尺=約53×226㎝」をあらわすのに中国は「尺八屏」という表現を用意しました。
この「尺八屏(⇒日本では略し“尺八”との表現が主になりました)」表示なら「2 8 ( にはち ) 」と表現する時の実寸で「1.75×7.5尺」、「 2×8尺」混乱の恐れはありません。
「二八規格⇒作品仕上がり=額=寸法外寸2×8尺(60×240cm)」で使用される紙寸法の大多数を占める「1.75尺×7る5尺」を表すのには「尺八」と表示するのが無難と言える状況です。 |
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「1反・1包」の入枚数、「蓮落ち」の長さ、「2 8 ( にはち ) 」の寸法ともその意味=枚数を再確認せねばならない状態になっています。 |
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パフォーマンス書道などの特別寸法≪画仙紙・鳥の子≫ |
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