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墨、固形墨は「炭素=煤」と「膠」で出来ていると表現できるほど質量のほぼ100%をこの二つの原料が占めます。
「炭素=煤」と「膠」以外で固形墨に含まれるのは水分と香料でいずれも微々たる量です。
通常、「膠」は一定の温度と水分により変質≒腐敗がはじまり進みますが固形墨に含まれる水の量では腐敗に至らず「膠」は長い時間経過と共に有機物分解が進みます。
墨を摺ることで磨墨液が出来ます。この磨墨液は「煤と膠がうまく混合された水溶液=墨(液)」です。
この「うまく混合された水溶液」は、膠の働きにより煤粒子が沈殿したり凝縮したりせず、水分中に一様に分散しています。この常態を「コロイド状」と言い「磨墨液」は「牛乳」などと共に保護コロイドの代表例として説明されます。
磨墨液がコロイドであるからこそ紙に書いた墨(=墨水分)が紙の中を拡散していく(滲んでいく)時、墨の主成分「煤」は水分の動きに合わせ拡散し、コロイドの状態によって異なる水と共に動く「煤量の変化」が「無限の巾を持ちあらわれる滲みの濃淡差」を生み出すのです。
墨を摺って墨液とすることで「煤」と「膠」は水中に拡散され、有機物である膠はこの水分により変質=腐敗を始めます。
腐敗の進行は膠が持つ保護コロイド力の減少であり、その進行とともに墨液は充分なコロイドではなくなり、墨液中に分散していた煤粒子が結合をはじめます。
腐敗の進度に比例し保護コロイドは崩れ、書いた墨跡(基線)に残る煤量とにじんでいく水分中の煤量の差が大きくなる、これは基線に残る煤量と、基線からにじんで行くにじみの中の煤量(=墨の濃淡)の差が明確になっていことです。
これらにより保護コロイドが崩れコロイド状態が不安定になればなるほど水分に乗って移動していく煤粒子量は減少し基線と滲みの濃淡差=変化は大きくなります。このように磨墨液の膠の腐敗が一定以上に進んだ墨液を「宿墨」と言います。
古墨は、墨を製造してからの時間経過に連れ墨中の膠の分解が進む、それにより古墨の磨墨液の膠効力は減少しコロイドに不安定さが発生します。
その不安定さがもたらす基線と滲みとの間に「(前述の)宿墨」と似たような、しかし宿墨とは根本的に異なる冴えある墨色の変化がもたらされます。
宿墨は「膠の腐敗」がもたらし、古墨は「膠の分解の進捗」がもたらす。
長年の時間が成し遂げた墨の膠分解が古墨に見られる「冴えある墨色の変化⇒撥墨の差」を生み出します。
一方の宿墨は、摺った墨液中の膠が腐敗することにより保護コロイドが保てなくなります。そして、腐敗した膠分は不純物として墨色を濁らせます。
この「撥墨=墨色の差」「基線と滲みの境界の冴えの差」が古墨と宿墨の根本的な、そして決定的な違いです。
宿墨にとっては「致命的な差」と言える差です。
この二者の差を感覚として捉えられず「古墨」と「宿墨」は似たもの、同じようなもの、と思い製作する墨アーテイストの如何に多いことか・・・・。
「古墨」は筆書き跡の墨色も、にじんでいく部分の墨色も共に濁らず、澄んで美しく、更には重厚さの中にも澄み切った冴えを感じる色を発するのです。
膠の分解が進みほぼ煤だけに近い状態になってしまった古墨はこれらとはまた違った趣がありますがそれらを適切に作品に生かすことは尚々の切磋琢磨が求められます。
宿墨では急速に分解した=腐敗した=膠分が煤と一体となり絡まり、基線にもそして基線からにじんでいくにじみの中にも分散します。これは宿墨で書いた作品を見る時墨色の濁り(嫌味)となって現れます。
古墨と宿墨の根本的な違いはこの撥墨の差にあります。
「古墨を使用する」「宿墨を使用する」、
どちらも筆の通った跡とそこからにじんでいく部分の煤量の差による墨の濃淡差を主題にする、と言う意味では同様の効果をねらって制作されるものです。しかし、その墨色が「また見てみたい、或いはずーっと見ていたい」などの感覚を呼び起こすことが出来るか否かがまさにこの「古墨」「宿墨」の、大きな大きな差なのです。
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