9 端渓の名称
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 さて、いろいろな硯の本に事細かく説明されているので、今更、各硯坑などのことを、同じように述べるのは芸のないことです。

 先にも記しましたように、この小冊子は、
現場の人々との交流や記憶を基に、端渓の現状をそのまま記述したものです。
 (老坑の開坑・閉坑の繰り返しの年代などには、
  端渓採掘現地である肇慶市から届いた資料を参考にしました)

 長年に渡る現地との交流で、現業に携わる人々から得た話を基に、
目で見てきたこと、体で感じてきたことなどを取り入れながら、
端渓の各産出坑と、其の呼称、 及び、端渓硯という呼び方について少し述べさせていただきます。

 ご高承通り、日本で端渓硯とか端渓の硯と呼ぶ「端渓」の語源は、
広東省広州市の西約100キロメートル弱の地方都市「肇慶」、
旧名「端州」の一角にある小渓流「端渓」から執られたわけです。

 と、「渓」は谷間の意であるのに、
肇慶では川の名に付けられているのかと 疑問に思いながらも、
長年「端渓という名の川」と信じ込んでいまして、初刊判には前記のように記したのですが、 深くお詫びいたします。

 この改訂版を出すに当たり、肇慶で、歴史的な年代などについてはその資料を得、
現場での様々な事柄については、先入観を出来るだけ持たず、
判っているつもりのことでも、
改めてそれこそ先方が嫌がるほど、根ほり葉ほり聞き回った結果、
端渓の語源も私の思い違いであったことが判りました。
 この版では今までの常識(私もそう思い込んでいたようなことを含む)で、
それが間違いと判明したものは全部訂正しています。
 「端渓と呼ばれる小渓流」と専門書にも記され、
私もそう思っていた小川は名のない川だったのです。
 地元では誰もこの小川の名前を知りません。
 こんな小さな川に名前は付いていないと言います。

 「端渓」とはその字があらわす通り、
この小川が流れ、
そして老坑や坑仔巌・古塔巌の坑がある小さな渓谷のことなのです。
名もない小川

端渓渓谷を流れる名もない小川
後方は坑仔巌

 「端渓」と渓の字が付くのですから 谷間を指していたのが当然だったのです。
  この渓谷も、日本語で渓谷と聞いたときに思い浮かべるような大きなものではなく、
小さい谷間なのです。
 この時だけでも何度目かの私の同じ質問「ここはなんと呼ばれていたのですか=又は、なんと呼んでいますか?」に、「又かぁー」と言うような、何ともうんざりした顔で老坑の管理者は「そうです。ここは端渓です」・・・・・・・、ここで「おゃっ!」と言う顔をして、
 聞いているのは、自分たちが立っている老坑入り口の広場手前から連なる谷間ではなく、その谷間に沿って見え隠れする小さな水流のことなのか、とやっと気がついてくれたのです。
(ズーッとこの小さな川の呼び名を聞いているのにも拘わらず、管理者はその川の流れる渓の名を聞いていると思いこみ、逆に当方は、当然川についての返事と思いこんでいました。この時だけでなく、優秀なバイリンガルの通訳が、常に私の質問の意味を良く理解し、何度も何度も通訳本人が納得するまで質問してくれました。そうでなければこの答えを引き出すことは出来なかっただろうし、端渓だけでなく、いろいろな部門の中国各関係者と打ち解けた信頼関係を築くことは出来なかったと思います。有り難う、○○○さん。)
 そこで初めて彼は、
 ここに来る日本人は何時だれが来ても、ほとんど全員がこの谷の名を聞いていた・・聞いていたと思っていた。だから「端渓です」と答えていたが・・・・・・
 そうかこの水流のことを聞いていたのか・・・と
複雑な表情でつぶやいていました。

 端渓小渓谷を流れる小川が、何らかの誤解で、
日本の一部では端渓と言うのだと思われていたのです。
 端渓小渓谷で発見された端硯の新坑、当時の名で下巌石が
日本で端渓と呼ばれた語源の端渓は
谷間全体の呼称だったのです。

 この坑から出る石は、同じ場所から採掘されながら、採掘坑の拡大と時の流れの中で
    「下巌石、大西洞、水巖、水帰洞、老坑」などと、
時代により違う名で呼ばれてきました。

 端渓を流れる小渓流が流れ込む川が「西江」で、この注ぎ口周辺の西江には両岸から山が迫っています。
                      
羚羊峡
羚羊峡
 この西江を跨ぐ渓谷を「羚羊峡」と呼びます。

 「老坑が発見され、採掘が始まると、
  その石は今までの産出坑にはない素晴らしい材質でした。
 この優れた石を産出する地、端渓が、
 硯の産地として一躍有名になり、
 産出場所の名を執って端渓硯と呼ぶようになりました」

というのは、日本で少々脚色されたお話しです。
 中国南部でも、 特に、辺境の地の、 日本に有ったとしてでさえ、 小川に過ぎない、
端渓を流れる小渓流沿いの山裾の一角から、
このような秀麗とも表現できる硯材が見つかったというのは、
偶然の結果であるはずがありません。

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