古硯 ・ 古硯 ( ホウコケン ) | ||
みなせトップへ | ||
古硯 : 古硯とは「古い時代に作硯された硯の総称」 どの時代までに作硯された硯が古硯と認められるのか? これには定義がありません。 定義がないまま、古い時代に作られた硯を扱う、或いは蒐集する人達の間で、この硯は「古硯だ、イヤ、まだ新しい」などと「阿吽の呼吸」と言う表現がそのまま当てはまる感覚で「古硯」と見なされ、見なされたものが「古硯」として流通します。 そしてこの古硯と認定する時代は時の流れに準じ変化します。 硯には中国の「端渓」「歙州」「澄泥硯」「紅絲硯」「松花江緑石」「黎渓石」・・・など、そして多種の「和硯」や韓国の「渭原石」など実に多くの種類がありそれぞれに古いものがあるわけですが、只単に《古硯》という場合「端渓」を指すことが多いので以下は「端渓硯」の「古硯」を基準にしました。 同じ時代に作られた硯であったとしてもそれを鑑定する時代とともに「古硯」と認められる作硯年代は異なってきます。 1970年代半ばまで「古硯=古端渓」と言えば「清朝」末までに作硯された端渓を指し、それ以降、中華民国からのものは「新端渓」とされました。 1990年前後からは中華民国が出来るまでの作硯を「古硯」としそれ以降の作硯を「新硯」と区別する意見が多勢になってきました。 一時期、中国広東省肇慶の端渓硯工場は旧来の「端州」ではなく端州につながる地から採掘された「紫端渓」「二格青」などの硯は端渓硯ではない。「端渓硯」と言うべきは「端渓」内から採石された原石を以て作硯された硯、との正論を通し二格青等は端渓ではなく端渓傍流の石、との認識を示していました。 この二格青などを産出した坑区が≪沙浦坑区⇒端渓産出坑≫であり:、本来の端渓各坑硯に外観のよく似た、しかし硯としての本質は著しく劣る硯坑硯石を産出しています。 前述の「紫端渓」「二格青」は「(新)宋坑」として、(新)を冠せるのはまだ良心的な販路であり一部販路では「宋坑」として流通しています。宋坑と同じく北嶺産出の「梅花坑」「緑端(緑石端渓)坑」も早くからこの沙浦坑区採掘石に変わっています。 |
||
古硯 : 「」は模倣の意。「古墨」などと同様「古硯に見せかけた硯」のこと。 新しい硯に化粧を施し「古い硯であるかの如き状態」に見えるようにした硯のことで、硯として一番有名な「端渓硯」の古品は勿論のこと、「歙州硯」「澄泥硯」などにもよく見られます。 古硯を制作すること自体は作硯の技術を伝承していく貴重な手段の一つでもあり硯技術者の貴重な修練の一方法です。そしてそれが「古硯」として流通するのであれは流通していくこと自体この技術伝承の一助にもなり問題は生じません。 硯の世界では、 古い時代〜清末まで(※注1)に作硯された「古硯」、それ以降制作の「新硯」と、製造期を区別し評価するのが主流です。 しかし、硯の原石層が形成されたのは何億年か昔のこと、その原石を硯として掘り出した年代がせいぜい1000年ほど違うだけのことですから古い時代に採掘された石であろうが、今現在掘り出している石であろうが基本的な石質に差があるものではありません。 遙か昔から綿々と続く悪しき流れ、模造骨董品を模造品とはせず正真の古物として流通させる、最近の硯の世界でこの流れは、 1990年代既に、硯譜(※注2)を基に硯譜掲載の大きさ・特徴・資質を持つ硯材を調達し硯譜通りに彫刻し、更に古く見える化粧を施し、「硯譜」にも掲載される銘硯を・・・、とその硯の値打ちをUPさせる。この模造品=古硯=を作硯。無論のこと硯の木箱も箱も古い家具などを買い集めその硯に合うよう再生する。これにより≪時代を伴った木箱を帯した硯譜通りの古硯≫が誕生します。 これらを中国国内はもとより香港や日本など様々なところに流通させる多様なルート、この流れのいずれかの段階で古硯は正真の古硯に化ける、とのことです(端渓の古郷“肇慶”の硯工場責任者、上海で模造骨董品店を営む経営者など談)。 こうして真っ赤な偽古硯が流通ルートに乗り販売されます。 古硯が古硯として流通し、入手者も古来の名品のレプリカとして楽しむのであればその真贋に悩まされることもないのですが、古硯・古硯の販路の多くで「古硯」と「古硯」の区分けが明確に為されなくなった今、真の「古硯」を手に入れたい人たちにとって「古硯」は厄介な存在です。 |
||
注1: | 古端渓とは何時の時代までに作硯されたものを指すかについて、 1980年頃までは「清末までの作硯を古端渓、それ以降の作を新端渓とする」と見なされていました。 その後中国国内でも古端渓と新端渓の時代の線引きを“清末”に求める、“中華民国末”に求めるなど諸説あり統一された線引きはなされていません。 同じ時代に作られた硯であったとしてもそれを鑑定する時代とともに「古硯」と認められる作硯年代は異なってきます。 1970年代半ばから80年に至る頃までは「古硯=古端渓」と言えば「清朝末」までに作硯された端渓を指し、それ以降の作硯、中華民国からのものは「新端渓」とされました。 1990年前後からは中華民国までを「古硯」とし「中華民国末」以降の作硯を「新硯」と区別する意見が多勢になってきました。 |
|
注2: | 採掘・作硯された硯の中から質の佳いものを選んでその形・特徴などを詳細に、図形を伴って書きとめたもの。 硯の姿は拓本の技法、或いは誠実に写し取ることでキッチリと残されます。現代に到るも、硯の形状、彫刻の伝承は写真・コピー等とともに硯譜により確立しています。 |
| 商品紹介トップへ| 問い合わせ | |