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端渓にまつわるいろいろ

 私が初めて中国貿易に携関わったのは1962年、私の父の時代です。                私が中国へ入国したのは、それから11年後の1973年春です。

 端渓の勉強が目的でした。
 端渓が好きで、国内で勉強はしていたのですが、 日本での勉強方法に疑問が出るなど、いろいろな情勢が重なり、広州交易会に参加すると共に現地の何人もの端渓専門家達の薫陶を受けました。
  • (当時、中国入国にはまだ多くの制限があり、中国入国に当たっての手配を全部引き受けて下さったのが、今も私が中国貿易の実務を委託しています(株)遠藤商事の初代社長遠藤寛次様です。 誠に残念なことに1997年11月他界されました。)
 当初の2〜3年は春秋の交易会ごとに年2回、 私自身が製筆職人であることも幸いしすぐに筆や紙の製造にも仕事の内容が広がり、年に4〜5回、 更には年8〜10回、産地や工場を訪れるようになりました。

 その時々の様々な出来事を、特に発表したりするなど全く考えてもいませんでしたが、ここ数年の、
  • 端渓に関する「事実でない情報」、それも
    老坑はもう採れないのだ等との、事実に全く反する内容にも拘わらず
    端渓に関係する専門家達でさえそのほとんどが信じ込んでしまった偽情報に対し、
    ここでは私が経験してきた事実と、実際に起こり見てきた事柄などを、坑の現状を基に
  • 述べさせていただきます。
 初版の小冊子の内容を簡単にまとめますと、硯の中の硯「老坑端渓」はもう採れないとの話しが広い範囲で噂されています。
   老坑硯はもう採れないのか?
   噂は本当なのか?
 自らの目で事実を確認する老坑調査旅行を実施、坑道最深部までご案内し、噂が事実でない事を現認してただいています。
 老坑は健在です。
 採掘量は、昔通り極く少量ですが、枯渇する恐れはほとんどありません。
と言うことです。 
老坑平面図
老坑平面図
 初版に古硯もとり上げました。
 新端渓を加工して古端渓に見せかける古端渓は、以前から輸入販売されていましたが、 最近、頓に量を増しています。

 古物を 古物として取り扱うのであれば
それを作ること、流通させることなどは悪いことでなく、
旧来の、貴重な伝統技術や文化を受け継いでいく方法の一つでもあり、

一級の骨董品に負けない内容を伴った古品を作ることは、その技術を維持していく為にもとても大切なことなのです。

 文化の伝承なのです。

 いけないのは古物を、 本当の骨董品のように取り扱い、
本物でないと知れた時には、
  盗人にも三分・・・の理屈で、
価格は安くしているから詐欺でないなどと弁解してみたり、
古品と知っていたら手を出さない人に、
本物と思い込ませるように誘導し、本物ですと、仕向けた証拠は何も残さず、
ずるく売り抜ける。
 これがいけないのです。
 
 中には、本物の骨董品並の価格で処理する強者もいるとのことです。

 「骨董品の勉強をしているから、ものを見る目はできている。 自分だけは騙されないぞ」
 「この店は=この人は=あの人の知り合いだから、あの人の紹介だから、 自分を騙すわけがない、 絶対に本物だ」と、
自信を持っている人程 騙されやすいという事実も、この世界の特徴です。

 ご注意を!!

 更に、訪中する人たちの増加とともに現地で、本物と信じて古品(端渓に限らず)を購入し、後でしまったと気づく人はまだしも、本物として転売し、被害者を増やしている人も多々ある様子です。

 外観で判断できるほど稚拙なものは古品とは言いません。
 その道の専門家が鑑定しても、 本物か 古品か、外観からは判別しかねるように作られるのが古品なのです。
「見抜く実力をつけるか、信じきるか・・・」が骨董品買いの常道ですが
「見抜く力を付けたと煽られて・・・こんな筈ではなかった」がほとんどの結末です。 


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