6 旧坑と水位
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 老坑の旧入り口は、格子状の扉で閉鎖されています。
 この入り口は、西江の最大増水期には、
又そうでない時でも大雨が降ると水がたまるので、これを写真に撮って、
   老坑は、これこの通り水の底から掘り出すのです、
と解説する向きも散見されます。

 1978年頃には、広東省陶瓷工芸品分公司も、宣伝小冊子に、水に浸かった旧坑口の写真を載せています。
  • 「水の底に深く沈み、
  • 水を掻い出し、掻い出し、
  • 苦労の上にも苦労を重ね、
  • 始めてこの世に現れる素晴らしい逸材」であった方が、有り難味も、値打ちも上がります。

    西江(老坑の前を流れる川)が増水するその最盛期には坑口まで水に浸かります。
広東省陶瓷工芸品分公司 
⇒  「北京軽工業品公司」が端渓を含む中国文房四宝輸出権のほぼ全てを握り、その傘下に組み込まれた各地の「軽工業品公司」がそれぞに許された商品を独占輸出していました。
それ以外では一部の土畜産公司が「筆」を細々と輸出していたに過ぎません。
端渓の輸出権を独占していた「広東省陶瓷工芸品分公司」が1978年に発刊した「中国端渓」の小冊子には「満水期であるとしても特に水位が高い時の老坑旧入り口」の写真を掲載しています。
当時はこの公司が端渓の全輸出権を持ち、北京公司管轄の下、出荷量、価格など出荷に関する全ての決定権を持ち契約に際して交渉の余地は全くありませんでした。
 しかし、それ以外の時期に、増水する水が坑口まで達することはありません。
 実際は、増水期か、乾期でも大雨かそれに起因する洪水で、一時的に坑口近くが塞がれる格好で水が溜まっているのを、
  老坑は常に水が坑口迄達している、
  常に水を汲み出しながら、
  水と闘いながら
  想像を絶する危険と立ち向かい
  水の底から採石していると
興味を引くような表現をするのです。

  しかし現実には、老坑の歴史上どの時代であっても、
西江が増水し掘削場所が水に沈む時、採掘は休止されるのです。
 西江が渇水期に入り坑から水が引くまで採掘されることはないのです。

  西江の増水してくる水が、坑の底に溜まり出すのは、渇水期が終わった西江の増水と同調します。
 西江の水面の高さが、坑内の増水量と比例するのです。
 新入口は、増水の最盛期であっても
地下から増水してくる水が坑道入り口にまで達する事はありません。
 増水する水が達するのは、それが大増水であったとしても、せいぜい斜坑の深さの6分の5ぐらいまでですが、実際に採掘しているのは最深部とその付近なので、少し増水してくると、そこはもう水に没して、掘る事が出来なくなるのです。
 西江が正常水位の時でさえ、ますます深くなっていく採掘現場は水面の25メートル下になるのです。
水位の下がった老坑への旧入口

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