8 老坑の名前の変遷 | |||
|
渇水期の西江 |
水巌≒老坑が、なぜ硯材として最高の材質なのか? 「水の底に長期間あったから・・」だとする意見がありますが、全くナンセンスな意見です。 老坑が発見された当初の露頭部分を露天掘りしていた間は、大雨の溜まり水と僅かな湧き水以外の水は溜まりませんでした。 水に関しては、他の諸坑と同様な条件だったのです。 この時点では 老坑は険しい山の下層から採れる石、 「下巌石」と呼ばれていたのです。 |
硯材として、最高レベルの石質と認められた老坑が、 鉱脈に沿って掘り進まれ、 深くなっていくに従って、年間の半分もの期間、水の底に没するような場所と判って初めて「水巌」と呼ばれだしたのです。 水巌と呼ばれ出す前、まだ下巌石と呼ばれていた時期、既に 老坑=下巌石は飛び抜けて素晴らしい石であると認識されていたからこそ 一定の期間水に沈む効率の悪い採掘環境になっても尚掘り続けられたのです。 掘り続ける価値が充分にある硯石だ、と認識されていたのです。 |
老坑の旧入口 |
繰り返します。 掘り進むにつれ採掘場所が深くなり、水の影響を受けるようになっても尚掘り続けたのは、 水の影響など全く受けなかった採掘時代に、 既に至高の硯石との定評が出来上がっていたからなのです。 下巌石が水巌と名を変えていくのは、この石に対する評価が固まった後に掘り続けられた採掘現場の環境変化からなのです。 |
老坑の地質が形成された後の地殻変動が今少し大きく、 この地層がもう数十メートルでも隆起していたら、 若しくは、この地層が数百メートル移動し、 そして其の場所が、水など湧き出してこない場所だったら、 今の老坑と全く同一の石が採掘されていても、 水巌という言葉さえこの世に生まれなかったことでしょう。 |
この建物の手前 階段の下が旧入口 |
老坑と西江の水平図 |
次(端渓の名称)へ |