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代表的素材を「天然石」に求める伝統の“端渓硯”をはじめとする硯の本質(品質)と鑑定。 石紋とは? 、・・・、・・・ |
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老坑硯に限らず端渓硯の各坑、そして歙州硯、澄泥硯などを含め「写真」、「画像」、「印刷物」などからその本質を見極めることは基本的に不可能です。時として、写真などからの鑑定内容と、現物を見ての鑑定内容とが合致することもあります。
しかし、その合致は偶然の結果に過ぎません。
何故なら、先ず何よりも硯の基本品質<より佳なる磨墨液を得る>べく石質の大基は、“硯の基本性能”、硯素材たる石そのものの硯としての質であり、その石質は硯素材たる原石の粗密さ(端渓硯の専門家中の専門家、老坑原石を採掘する現業員の採掘基準は石そのものの密度です )(※この前提に “佳い磨墨感” “磨墨性” “磨墨液”が得られる、があることは言うまでもありません)」であり、その石密度は写真や画像から鑑定することが不可能だからです。
更に、写真や画像などの見た目の密度、色などは同じ元画像からある程度自由に調整できることも理由の一つに加えられます。
硯の、そして端渓硯の専門家と称せられる方々の中には写真を一目見れば硯の品質を含む素性(の全て)が分かると豪語される方もいらっしゃるようです。
どのように写真を見れば、石の粗密さの判断が出来るのか、誠に不思議なことだと感じています。
もっとも、硯の本質=石そのものの粗密さ=には触れず、或いはこの重要性を知りえず、
金線(黄龍紋)・銀線・氷紋(氷裂紋)・魚脳凍、蕉葉白・青花・翡翠紋・・・・・金暈・金星・銀星・・、これら多くの石紋名称の中でも意味合いとして、そして見て分かりやすい「※※眼」など高名な石紋の有無や現れ方を以て硯の品質鑑定の第一とする「鑑定方法」で鑑定をするレベルなら、石の本質判断と言う重要な目的からズレが生じる恐れが多々あるのですが、「写真などを見るだけ」で、ある程度「判った積もり」になれるのかも知れません。
「老坑では金線、銀線、氷紋・・・・など一見すれば直ぐ判る石紋が現れている個体の人気が高い」、
これらから自己増殖した鑑定方法、「金線、銀線、氷紋が見られないのは老坑ではない」などとの説明が罷り通ったりもします。
とんでもない“ご高説”です。
これら金線、銀線、氷紋などの石紋を持たない佳品たる老坑も沢山ありますし、老坑以外の硯材に金線、銀線、氷紋が見られる例も稀ではないのです。
更に、「“眼”が現れているのは老坑ではない」と言う鑑定方法を聞くこともあります。
何という大胆な鑑定方法なのでしょうか。
老坑にも立派な「眼」、それもくっきりと現れた「眼」を持つ硯石が見られます。麻子坑、坑仔巖などに現れるよりは、現れる割合が多少は少ないと言うだけです。
金線・氷紋・魚脳凍・青花・翡翠紋・・・・・、様々な石紋につけられた呼称、それらはいかにも難解な言葉であり捉え方によっては高尚な印象を与えます。
中国では石紋を見た時に感じた「もの」、連想した「もの」「状況」、その「もの」「状況」を呼ぶそのままの中国の呼び方で石紋を表し、この中国の呼び方そのままを日本でも石紋の名として表現します。
これらは日本語としては存在しない言葉、または馴染みの少ない言葉なのですから、そのまま漢字で見れば「難解で高尚な名称」と感じる場合が少なくはないのです。
石紋につけられた名称の意味は、その命名の地、中国現地の見たまま感じたままの石紋の状況を、彼らの日常用語で説明し表現する庶民感覚溢れる中国の言葉なのです。
端渓の「石紋」の名前、例えば |
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火捺 |
美辞麗句を伴った様々な説明が為されていますが、簡単に言えば「焼き焦げの跡状に見える部分」 |
蕉葉白 |
薄日を受けた芭蕉の葉っぱの白っぽく感じる色 |
天青 |
晴れた空のような色=日本の薄曇り、白っぽい空の色に相当します。
端渓の採掘地広州は中国南部の亜熱帯に在り、湿度がとても高く、晴天の空も青空ではなく白っぽい薄グレーとも言える色合いの季節が続きます。それでも空気が
乾燥する秋口、晴れた日の空は日本と同じ青空になります。この綺麗な空の色=青空へのあこがれが、普段の広州の晴れた日の色合い=白っぽい空の色=に近い感覚をもつ紋様に「天青」という名前を与えました。 |
氷紋 |
=(氷裂紋)=氷に現れる筋、又は亀裂のように見える紋 |
魚脳凍 |
(見方により)凍っているように見える魚の脳の色 |
※※眼 |
※※の目のように見える模様 |
金暈 |
金の雲、またはぼやけている金の雲 |
松根 |
松の根のような色と形 |
青華 |
硯面に青黒く現れる大小様々の点。
あたかも硯面に「青黒い紋様(=中国では古来“青華”という)」を振りまいた、の感があり「青華」と呼ぶ。
点の形は一定ではなく様々な形を持つ。
その形により連想される「蟻脚青華=言葉通り、蟻の足のように見える青黒い模様」「雨霖墻(ショウ)青華=細かい雨が密度高く降りしきっているように顕れる青黒く小さい点の集まり」「子母青華=ヤヤ大き目と小さ目の青黒い点が混在している様」「青華結=青黒い点が部分的にくっついて集合している様」などと名付けられています。 |
石紋につけられたいろいろな名前は「高尚さを感じさせ得る感性豊かな表現」「詩的な言葉」と言うようなことではなく、現地の生活に密着した生活感覚あふれる名前なのです。 |
老坑の形、彫刻、彫り 老坑硯に「長方実用硯」が少なかった理由 |
老坑は、御高承通りその原石の貴重さから、採掘された原石の大きさを最大限有効に作硯します。
結果として老坑原石から仕上げられた老坑硯のほとんどは天然型、またはそれに近い形の硯に仕上げられます。
「老坑には精緻な彫刻をするのが肇慶の伝統であり老坑作硯職人の誇りでもある」。
日本の多くの実需者が、そして弊社が希望する実用硯型に作硯するように指示をしても、そのような「実用硯仕立て」は「老坑に刻すものではない」と、現場職人の抵抗が、かつてはとても強かったのです。
練り強く、多くの実需者の強いご要望が有るのだからと、まずは硯廠(工場)の責任者に納得してもらい、実際に作硯する職人さん達にはその責任者から説得を続けてもらったことが功を奏し、20世紀も終わりを迎えようとする1990年代、
やっと弊社が希望する「原石の形や寸法から作硯可能な大きさの長方実用硯に仕立てる」にできるだけ依り沿う「原石の形を生かしながら実用に適した作硯」をし、且つ「余分な彫刻を極力避ける」との当方希望に近い内容で作硯を引き受けてくれるようになり、更には、日本USERの望む作硯方向、長方実用硯彫りをも、 時間流に連れ受けてくれるようになりました。
加えて、弊社としても折角の原石を削ってまで長方実用硯への作硯を指示することが躊躇されるようになり、
原石の形を先ず生かし、同時に硯石の大きさも可能な限り損なわない実用硯彫り、との作硯指示がほとんどという結果に満足を覚えるようになりました。老坑佳硯に「長方実用硯」が少ない理由です。 |
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21世紀に入り採掘済みの老坑原石残数が少なくなる(⇒老坑閉鎖)につれ、
端渓の歴史から見ればほんの少し以前の1980年代最後期、
当時は唯一の端渓硯正規輸出機関であった広東省工芸品進出口分公司も「端渓近郊にあるが端渓ではない」と説明していた≪沙浦坑区≫の硯石を以て「老坑、坑仔巖坑、麻子坑、宋坑、・・・」と称する硯廠が多くなり、
いくらでも採掘できる(とされる)沙浦坑区原石を用いた「本来の老坑ではない老坑硯」に「長方実用型」が増えている様子です。 |
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硯板 ⇒「海・丘のない硯」 ⇒中国現地では「板硯」 |
老坑に限らず、板状のまま仕上げた硯は日本では「硯板」、中国では「板硯」と表現します。
硯の一形態として認識され、現在では“「板硯」のための硯板仕上げを施した硯”も見受けられますので「板硯」自体はそれほど稀であると言うものではありません。
本来の硯板は、その硯材のどこをも刻し・削るのが惜しい逸材原石を得たとき、その逸材の大きさを出来うる限り生かし、且つ出来うる限り原型を生かす形で流通させたのが始まりです。
みなせの取り扱う「板硯」はこの硯板の発生の意味合いをそのまま引き継いでいるものに止めていますので、「刻するのが惜しまれる逸材」に出会ったとき以外は契約しません(特注を受け契約・輸入する場合を除く)。
使用方法は、通常の丘と海がある硯と何ら変わりません。
この硯板上に、使用する目的の濃度の墨液を作るのではなく、濃ゆく濃ゆく擦った練り状の擦り液を作る、それに少しずつ水を加えよく練っていく、他の容器に移せる濃度になった時、墨池など他の適切な容器に移し、更に水を加え使用目的に合う濃度まで練っていきます。
このとき墨を薄めるという感覚では本当の意味での「よい墨液」は得られません。擦った墨に水を足しながら、墨の液と水を練り合わしていく・・・・のです。
良い硯を使い、よい撥墨を得るためには、
「墨の擦り方」から「擦った墨の薄め方」、そしてその墨を「筆に含ませ紙に筆を当てていく」、この修練度も撥墨、そして線の切れ、線の伸び・・・を左右します。切磋琢磨の結果が現れます。 |
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老坑の価格体系 老坑硯の「硯規格≒寸法と価格との関連性 |
老坑以外の端渓各坑硯には産地肇慶の専門家鑑定に基づく品質レベルの下、同等品質とされるものに対応する硯規格(寸法)差の価格列があります。が、老坑では硯規格(寸法)による価格列は基本的になく、先ず「品質」が硯レベル判断の第一になります。
同等の品質を保つ老坑がある、と仮定した時、同等品質の老坑はその姿+大きさに加え石紋の状況が価格に加味されます。
「石の基本品質」+「寸法」は老坑価格体系の要因の一つであり、「石の基本品質」が先ず第一、そして「寸法」により、更に「石紋等の装飾的要素」が加わり価格が決められる、が老坑の価格構図です。
以下は老坑として特異な例です。
老坑の一部で「隋型、什型…雑型」等の様式で呼ばれるものには老坑として例外的に硯規格(寸法)による価格列があります。
これは極々一時期、中央政府に連なる上部組織から老坑販売代金の上納を催促された肇慶端渓廠がその金額を捻り出すための販売増政策として老坑に「無理矢理」という感覚で何らかの瑕疵を見つけ出しそれらに「隋型、什型…雑型」等のランク付けをし老坑として通常価格より安く値付けしたOFFERを出した時期があります。
これら老坑として政策的に安く設定された価格で契約された例外もありますが基本的な老坑の価格差は先ず以て「品質」、そして石質が同等の場合は硯容積・硯姿、硯姿には石紋等の装飾要素が含まれます。に準じ価格が開きます。
同等規格で3倍も5倍も価格差が生じることもそれほど稀ではありませんし、大きいものが小さいものより安いこともまた稀ではありません。
硯としての基本品質とは無縁の「石紋」も硯鑑定の材料として非常に判りやすいこともあり高名、加えて有名な石紋を持つ、それもその石紋種として鮮やかに現れている硯には同レベルの基本石質を持つ石より高い値が設定されます。
通常の流通路では硯の基本品質より判りやすく転売等がより容易くできる「石紋頼りの取扱者がほとんどであることも「判りやすい石紋を持つ石」を優位に立たせます。 |
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白端渓 |
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中国の有名な景勝地「七星岩」は端渓産地として高名な(広東省中西部の)肇慶市端州区に在り、この七星岩から「白端渓」の硯石が産出される、との説があります。
「老坑・坑仔巌硯廠」の指定を持つ肇慶硯廠からの情報では「白端渓原石が掘り出され作硯され流通している」とはかけ離れ、そして否定する内容ですので、これら「白端渓七星岩産出」説へのご説明は控えさせていただきます。
以下は、俗に「白端渓」と称し流通する硯石は「端渓石に基づく硯」ではなく「白い玉硯」に過ぎない、との現地有力硯廠の説明を中心にご案内します。
端渓の中でも特に選ばれた硯廠のみが老坑の原石を入手し老坑硯を作硯できるのですが、その老坑硯廠「肇慶市権氏端硯工芸有限公司」の説明は以下です。
「白端渓」と言われ流通しているのは白玉石を作硯した硯で、白玉石の産地は「肇慶市」の西南西方向に約60km位置する≪雲浮市≫。白端渓を産出する「白端渓坑」があるかのような表現をし流通させる製硯者や販路もあるが「白端渓坑」と呼ばれる、或いは「白端渓坑」と名付けられた硯石坑は知らない。
肇慶をはじめ広東などの端渓硯関係者との長年に渡るお付き合い、取引から生じる色々な出来事の積み重ねの結果、弊社が信頼し契約を続けている肇慶老坑坑仔巖硯廠、前項「肇慶市権氏端硯工芸有限公司」の責任者は、一部の肇慶硯廠同業者が「白端渓」と称し提示・販売している硯を「白端渓ではない。白玉石だ」とはねつけています。
※白玉石⇒白色の玉石
玉(ギョク)で造られた硯が「玉硯」、或いは「玉石硯」、白い玉(石)で造られた硯が「白玉硯」。
日本にはこの「白玉硯」=「白端渓」、との説もあるようですが、前述通り現地でもそれは「玉」であって「端渓」ではないとの認識なのですから、この「白玉石」=「白端渓」は誤解により生まれたものと解釈します。
「白玉石」は端渓よりもズーッと硯面が堅く墨を磨る重要な機能「鋒鋩」も対「端渓の平均値」比で極端に少ない、しかし一定の磨墨は可能という特質から「朱墨」を摺るのに多用されてきました。白玉硯のみならず古い「玉硯」に残る擦り跡の多くは「朱墨」の摺り跡なのです。
前述のこと、「白端渓」の「採掘坑」は存在しないはずです。が、「白端渓」の硯は存在するのです。
“魚脳凍” 、
老坑や坑仔巖坑など高級端渓硯石の採掘坑ではない坑から「シッカリした撥墨」をもたらす、且つ透明感高い魚脳凍を持つ硯材を見つけることは困難です。老坑や坑仔巖坑に顕れる魚脳凍、その逸なる魚脳凍のあらわれ方の中でも透明感に加えて白味を強く感じさせる“魚脳凍”、この魚脳凍の硯石部分だけで作硯された全体が白っぽい透明感に包まれた硯、或いは、ほぼ全体が魚脳凍である硯材(これに出会えることはなかなかに困難です)で作硯されたものを指します。
当然のことながら極めて少ない高品質な硯材のみが白端渓である、と言うことで、この本来の白端渓は幻の高級硯としての地位を続けます。
西江羚羊峡峡南に位置する端渓有名各坑に隣接する、沙浦硯坑区。
かつての端渓硯石とする硯坑採掘域の理解や、端渓とは、の解釈によりましては「端渓ではない」とする意見が強い「沙浦坑区」ですが、その沙浦坑区の有力坑が「有洞巌(≒有凍巌)」です。
「有洞巖」坑の石は鋒芒=墨の擦り味・撥墨に影響を与えます=の低レベルによりあまり重要視される硯材ではありませんが有名な硯石産出坑の一つなのです。
沙浦坑区有洞巌の硯石には「石紋」の顕れ方、「石紋」の様子等々から「老坑」「坑仔巌」と間違えられ、或いは有洞巌硯石であることを承知の上でこれら有名坑硯石を名乗り流通することが稀ではありません。
本来の老坑や坑仔巖坑との対比では透明感が劣り、石密度は更に顕著に「粗の方向」に入り、鋒鋩は著しく劣ります。が、魚脳凍と間違えられるような色合い・雰囲気の石紋が大きく、そして多く顕れていることが稀ではないのです。
端渓現地の鑑定者や硯廠の責任者などが行う硯判定の基本≪石密度≫を以て鑑定すれば≪有洞巌≫を≪老坑≫や≪坑仔巖坑≫と誤判定するような事態は起こり得ないのです。
が、残念ながら販路によりましては「石紋」を主に=硯の表面上の見た目を主に端渓硯石の優劣を区分けしますので石紋鑑定により「有洞巌坑石」が「老坑」と判断され流通することが多く発生します。
この有洞巖坑の魚脳凍を思わせる石紋のうち白っぽさの強いものを白端渓としている場合もあるようです(魚脳凍 : 端渓に現れる石紋の中でも高名な“魚脳凍”は見た感じだけでなく、硯としての素晴らしい基本性質を持たねばなりません)。
せっかく白端渓を手に入れたのに・・・・・、しかし・・・、と品質が気に入らない場合は有洞巖坑である疑いがあります。
また、老坑等の端渓に比べ石質が固い、と感じる場合は前述の「白玉石」、或いは何らかの白っぽい石で作硯された硯であるかも知れません。
「白玉硯」 |
※ 老坑特有の石紋??? ???の一例
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※ 有洞巖坑(有凍巖坑) |
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老坑、坑仔巖などの坑がある端渓渓谷の直ぐ東、沙浦で採掘されます。
石紋の顕れ方は「老坑」、それも「魚脳凍」をはじめとした色々な石紋が見事に顕れています。
写真・画像では「老坑」か否かの明確な区分けは困難です。
現物を見れば「石の粗密さ」により老坑とは明らかに違う石質であることが判ります。
この硯は「有洞巌」、そして「有凍巖」、どちらの漢字でも流通しています。
“凍”と“洞”は中国発音では同じで「dong」、通訳も時により“洞” “凍”と訳します。
石紋の意味合いから“凍”の方が正しいように思えますが、端渓産出坑原石セットには“有洞巌”と現地の硯職人が彫刻していますので「有洞巌」を採用しました。
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※ 氷紋凍 |
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一例として、坑仔巌坑にもこの画像の硯のように見事な「氷紋凍」を持つものがあります。又これが特に珍しいと言うことではありません。 |
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硯本体と木箱 |
端渓等の中国有名硯のほとんどには硯石本体に合わせ設えた「木箱」が付いています。
これらの木箱は「硯石」個々の個体寸法・形に合わせ設えられると理解されています。 |
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硯石のうち≪規格型硯(⇒定められた寸法に応じた “※吋” 等の規格により作硯される硯≫の箱も≪「硯石」個々の個体寸法・形に合わせ設えられる≫と理解されている場合が多いようですが、
現場では「硯石は硯としての規格」毎に数を作り、「木箱は個々の硯石に合わせるのではなく硯石規格に基づき量産」し、それぞれの中から合うものを選び出します。結果として硯石と木箱のサイズが合致します。 |
硯石は作硯されたときそのままの形・寸法をいつまでも保ちます。
一方木箱は時の経過とともに「縮小」、時には「変形」します。
これに依り作硯時の≪木箱≫は「硯規格」にキチンと合わせ作られることはなく「硯規格」に基づきその規格よりヤヤ大きい寸法に作られます。
「老坑、坑仔巌坑の逸品、精品をはじめとする銘硯」作硯時の≪木箱≫も「硯石の形・寸法」にキチンと合わせ作られることはなく硯石よりヤヤ大きい寸法に作られ、作硯後10年、20年と経過し木箱の収縮率が少なくなる頃「硯石と丁度合うように上手く木箱を作っている」との評価が得られる組み合わせ具合に落ち着きます。
実際にはこのように都合のよい木箱収縮・変形が生じる率は低く「いつまで経っても木箱が大きい」「木箱が縮んで硯の出し入れが困難になった」、これが更に進んで「木箱が縮んでヒビが入った、割れた」ということがよく見受けられます。 |
古来「銘硯」はその硯にとっての節目節目に「硯箱」を補修する、時には作り直すことが常態的に行われました。
古硯中の銘硯が「キッチリとした箱」に収まっている。これは「作硯当初の箱の余裕が木の縮小をピタリと見極め設えられた」「その硯の何度か目の節目に新たに誂え作られた箱が今丁度ピタリと合うように変化した」、ものとお考え下さい。 |
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