端渓のまことを伝えたい | 時の流れとともにその時代時代の端渓を綴りました。 | |||
2006年 | ||||
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2006年新年早々・・・・ | |||||||||||
2005年5月に届いたオファーでは驚くべき値上げ率を連絡してきた肇慶(端渓産地名)の工場ですが同年12月に入り、多少とも強気の気配が弱まったオファー、及び現況報告をしてきました(その一部、北嶺で稼働している端渓産出坑の現状は“端渓の誠を伝えたい”本文の主な端渓(硯)産出坑にも掲載しています)。 現況報告は、2005年年初め頃から突如起こった「老坑」「坑仔巌」など高級端渓の中国国内贈答用需要は未だに衰えないものの、当初期待したほどには販量が伸びていない。 「肇慶市国土資源局」の管理下におかれていた「宋坑」「麻子坑」の硯管理者までもが「広東省国土資源局」の管理下移されたなどますます管理は厳しくなるとの見込みからで全体として強気な姿勢を崩してはいませんが、実際の意味合いは“出来ることなら契約して欲しい”と読み取れました。 |
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これにより昨年5月時点と比べ契約内容改善の期待が多少でも膨らみましたので、2006年1月新年早々肇慶へ行き老坑をはじめとする端渓各坑の現状、各坑原石の在庫状況、価格動向などを調べると同時に新たな契約も済ませ1月13日に帰国しました。 以前は毎月のように、多いときには一ヶ月に二度三度と訪れていた時期もあった街ですが今回は本当に久しぶりでした。 肇慶の街自体は「中国南部観光の目玉“七星岩”」を中心に持ち、最近の中国国内観光ブームもあり大いに賑わっているのにも拘わらず廃業したホテル、もうすぐ廃業しそうなぐらい手入れの出来ていないホテルなどが目につきました。交通事情が改善され宿泊は「七星岩の現地“肇慶”」よりズーッと設備の整った「広州市内」で・・・、肇慶は昼閧フ観光で訪れる、と言う形が定着したそうです。 以下は主な端渓産出坑にも書き加えましたが
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墨を基調とするアート、 書や水墨画の専門家に望まれる「硯としての基本品質」を第一に、実用的な作硯のものを契約・輸入してきました。その基本を踏襲した契約を心がけながらも、今回は「特に素晴らしい石質の老坑硯材」に施される伝統的な精緻作硯を既になされ、肇慶の硯工場で「飾られていた老坑」、素材の素晴らしさに躊躇なく契約したその老坑硯も入荷のひとつです。 |
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2006年10月末頃肇慶のいつもの工場からFAXが届きました。 曰く 「日本の硯輸入業界は一体どうなっているのですか?」 これは以前にも聞いたことのある言い回しです。日本へ輸出する硯の契約量が大幅に減っているのです。 毎年3回から5回程度の契約を続けてきたみなせも今年(06年)は1月に契約したまま、その後は全く契約していませんし肇慶の硯工場が持つ老坑などの硯の在庫状況を尋ねることすらしていません。 今までの契約・輸入済み分の在庫が十二分にあるからです。 このFAXに続いて硯の現物写真が大量に送られてきました。それに前後して、またまたFAX、そして電話が何度も入りました。 とうとう日本語通訳を臨時で雇いカタコトよりは少しましな程度の日本語を話す女性から硯工場ですが、と電話が入りました。 旧暦とはいえ今年も年度末が見えてきた中国です。かなり営業成績が悪く販売を焦っているようです。 1年ほど前までの値上げ一辺倒の強気姿勢は微塵も感じられません。 みなせにはまだまだ在庫があります。 端渓「宋坑」「麻子坑」「坑仔巌」などの規格品はそれこそこちらが輸出したいくらいの在庫があります。
過剰在庫のままです。これら各坑の再開許可はまだまだ先のことになります。 |
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