山馬、山馬筆、山馬とは?                                                                    
「水鹿」 : インドやベトナム、中国南部の高地、山間部の湖の畔に住む『水鹿』と呼ばれる鹿科の、鹿としては大型動物の毛が『山馬』と
呼ばれる筆原毛です。   主生息地がインド、インド語で『サンバー』、日本ではインドと同音発音の漢字「山馬」が当てられました。
 .

筆 の 原 毛 に つ い て   山馬 & 鹿 みなせトップへ 筆トップヘ
筆原毛トップへ

狼=鼬(いたち) 玉毛=猫毛 狸&狢(むじな) 鹿&山馬 羊毛(=山羊) 
貂(てん) 猪(豚?) 化学繊維/ポリアミド繊維(ナイロン) 筆の実  兼毫 ??  

                          『化学繊維筆』  急速に変化し進化した≪化学繊維筆≫の数々

鹿原毛   山馬原毛    「山馬筆」へ
鹿の毛には、毛を採る時期から「夏毛」「冬毛」の種類分けがあり、冬毛が弾性高くシッカリした毛質で山馬筆の原毛に、夏毛はバラバラ感強く筆原毛としての使用は稀です。 鹿の冬毛 : 鹿毛も他の筆原毛(≒獣毛)同様に鹿の原毛を保管している梱包からつまみ出した一つかみをそのまま撮しました。
写真を撮る時もう少し毛を整えたらきれいに写っていたのに・・・、と思っています。
きれいに揃えた鹿毛の模様は美しいのです。

「“鹿”毛筆」は、筆原毛としてよく聞きます。そして、私の製筆経験では「鹿毛」は小筆の毛組の一部に用いられます。が、鹿毛は筆先に影響を与えない部分に組み込み、筆の弾性UPを主目的に、筆頭の径を増し墨含みをよくする「補填原毛」としての使用がほとんどです。
 鹿毛の特性として、毛が中空、且つ節があり脆い(=折れやすい)ことが挙げられます。
毛先はシッカリしていて脆くはないのですが、胴体部分から根元部分に「中空の脆い」特性を持ち、更に比較的短かい毛が多く、毛の長さに比べ毛質が太く粗い。しかし墨持ちはよい。これら特性により筆を太くする「あん」としての使用を主用途として鹿毛を用います。
 あん:
 私の父、山口武美をはじめ歴代の有馬筆先輩職人の皆さんが使っていた職人言葉で、筆の根本に入れる毛の一種。
 筆の本質には関係せず、筆を太くするとともに墨持ちをよくするのに適した毛が使用されます。
 筆の産地や職人グループが異なれば「あん」と異なる呼び方もあると思います。
 中国筆では、より廉価な素材として「目的に適した木や草の繊維」を以て「あん」に充てている筆種もあります。

山馬(筆)は、亜熱帯の山岳地帯、それも湖の畔に住む大型の鹿「中国名で“水鹿=シュイルゥ-”、インドで“サンバー”」と呼びますが、その毛(で作った筆)を指し、生息地域によりこの鹿の呼び名は異なります。
インド以外の主な生息地は中国南部広東省や雲南地区、そしてインドネシアなどに広がり、「サンバー」「(中国では)水鹿=シュイルゥー」と呼びます。日本へはインド発音の「サンバー」がそのまま伝わり、姿から「山馬」の漢字が当てられました。
「山馬」がインドから直接伝わったか、中国経由、或いは他ルート経由で伝わったかなどはともに不明ですが、この特別大型の鹿、インド名「サンバー」を「山馬 サンバ」と当て字にしたのですから、インドから直接、或いはインド文化の勢力圏経由にて日本へ伝わったと考えるのが自然です。        
「サンバー」の当て字として、まあ見事にその動物の形態をあらわす「山馬」を当てたものです。
 
2003年11月6日、日本生まれ、日本在住の華僑を通訳に、弊社の筆を求めに来社された元中国(香港)籍の、来社当時はオーストラリア籍の「郭 志剛」氏。彼が香港に渡るまで過ごしたのは中国広東省。それも水鹿が棲息している広東省の髙地でした。
その居住地で「水鹿=山馬」を幾度となく見てきた郭 志剛氏は
「水鹿は鹿としては本当に大きい。牛ぐらいの大きさは充分あり、自分が住んでいた中国南部の広東省“韻関”地域(広東省北部)の山岳地帯、それも湖の畔に住んでいる。体が大きいため動きがゆっくりしているように見え“鈍感”な動物のような印象も受ける。 が“水鹿”という言葉に“鈍感”という意味はなく、また鈍感な動物ではない。
韻関(韶関市 ショウカン )に似た地理的条件の“雲南筆関係者の間ではこの雲南の山岳地帯がサンバの生息地とされています”に生息するとしても不思議ではない」と言っています。
以下、余談です。
 日本の俗説の一つに「中国の水鹿と言う言葉には馬鹿」と言う意味もあると聞くが、と中国の製筆関係者にも尋ねてみました。すると前述のことで、大笑いし「中国語の水鹿という言葉にそんな意味はない。初めて聞いた」と言っていました。
また、日本では長らく多くの製筆関係者がこの動物を限定出来ず「トナカイ、カモシカ、牛、ムジナ、特別な馬、またはこれらの混毛」などと説明することが多かったのです。
が、私の製筆経験から、この時代も山馬の原毛としての特性は「鹿毛」と同様の特徴 ⇒ 毛に複数の節状の中空部分がありそこが折れやすい、が先ず第一にある、を知っていましたので、山馬は「鹿毛」と同様の性質を持った“中空部分”が顕著に表れていることを主に、山馬とは「大型の鹿」、ないしは「鹿科鹿属」に属する動物の毛です、との説明をしてきましたが間違ってはいませんでした。
山馬=水鹿の姿をとらえた動画です。曾て“広島ホームテレビに掲載されていました”が、この山馬を捉えた動画ページは削除されたようですのでウィキペデイア(Wikipedia)」の「山馬(サンバー)」へリンクします。 
リンクしない時は「ウィキペデイア」で「山馬(サンバー)」を検索しご覧下さい。
 ウィキペデイア(Wikipedia)には比較的詳しい説明が掲載されています。
アメリカやカナダ産の「大鹿」の毛、これも「日本の鹿毛」よりかなり毛足が長いので半紙に漢字4字書きくらいの大きさの筆や、時にはもっと大きな字を書く筆の製造が可能です。
日本で「山馬」と呼ばれる筆原毛=水鹿の毛は、ワシントン条約で国際間の移動が禁止され、20世紀後半期には既には貴重品、と言いますより以上に入手出来ない原毛の一つになっていました。
これにより、1985年前後から「ムジナ」や「猪」「馬」などの弾性高い毛、弾性高いような外観の毛を混ぜ筆本体を毛組し、上毛(筆頭の外側に巻きつける化粧毛)に「山馬の毛」のようにも見える「馬の足毛」「狢(黒い毛が多いので、これと茶と白の馬毛を混毛しつくる原毛」などを使用するし「見た目」「名前」だけの「山馬筆」が流通の主になっています。また1980年代後半頃からは、中国から輸入される「山馬“筆”」も、山馬と銘打った筆でありながらその原毛は「馬・狢」の、時として猪の毛も併せ混毛し、山馬様の外観に仕立てた筆に代わっています。
山馬に近い弾力と見た目の毛質感を表すには「この混毛」が一番手っ取りばやく、且つ確実な方法だと思います。
今回「水鹿」について尋ねた中国の筆関係者の一人は、この模造山馬筆、「馬と狢&猪の混毛筆」を“これが山馬筆だ”と説明していました。本人は本物と信じているようです。
 
  ムジナの毛を主体に毛組し、化粧毛(上毛)に馬毛をうまく混毛、外観を山馬筆に似せ、書き味も一般的な山馬筆の書き味に似せた「筆」をつくりました。「居玩」 と名付け発売中です。  
「本当の山馬」を、ホンの少しだけ混ぜ作ったほとんどが馬毛の「山馬筆」。
弊社旧知の、筆司仲間の筆司さんの一人が「山馬」の原毛を少し持っていましたので、貴重な山馬原毛を譲って下さい、とは言いにくく、その筆司さんに作ってもらった「山馬筆」はこちらです。   
 「山馬の動画」は広島ホームテレビホームページ≪トップ⇒地球派宣言⇒キャンペーンCM⇒過去のキャンペーンCM画面の「インド編」≫で偶然見つけました。
 この頁で取り上げられたものは、一定の時間経過により更新・消去される様子でしたので「保存」しました。が保存した「動画」も消えました。
 この動画で見た「水鹿=サンバー」の『姿・形』は日本の鹿と何ら変わりません。
 動画の中でサンバーの大きさを推測出来るものが「サンバーの背中に乗っている鳥」ぐらいなもので、その鳥の大きさが判りませんのでサンバーの大きさはハッキリしません。
 サンバー=水鹿を実際に見た郭 志剛氏談では「とても大きい、牛ぐらいは充分ある」ですから、鹿としては本当に大きなものなのでしょう。
 この画像資料と今までの資料をまとめますと「山馬 サンバー(=中国読みシャンマァー)」とは、
インド、インドネシア、中国南部などの山岳地帯に広範囲に棲息している大型の鹿科動物の一種で、日本語「山馬」の語源はインドのこの動物の呼び名、インド語「サンバー」です。
 これと同じ動物を中国では「水鹿(=中国読みシュイル-)」と名付けていますが、南部の山岳地帯にのみ棲息していたため一般にはあまり知られていません。
 日本へはインド発音の「サンバー」のまま伝わり「山馬」の漢字が当てられました。
 当初の原毛がインドから直接伝わったか、中国或いは別のルート経由で伝わったかは不明です。
「サンバー」を原毛にした日本の筆「山馬筆」が中国に里帰りするまでに、中国でもこの毛を使った筆が作られたと仮定するなら、その筆の原毛として「水鹿」ではない別の動物名が当てはめられていたと考えられますが記録は残っていません。
「サンバー」を原毛として造られた筆が「山馬筆」として中国へ里帰りし、元々の中国語での「水鹿」とは別の動物の毛としての間違った認識のまま筆生産者の間に定着していたようで、中国製筆関係者の一部にしろ「日本で言う山馬筆」は「中国で“水鹿”と言う動物の毛で作った筆」と正確に認識したのは1990年後半頃からです。
 山馬筆の原毛は、日本の一部関係者の間で言われてきた「トナカイ、カモシカ、牛、ムジナ、特別な馬、またはこれらの混毛」などではなく、山馬筆の毛の特徴が示していた通り正しく「鹿の一種」、「サンバー」だったのです
  
『韻関(韶関市 ショウカン)』(出典:Wikipedia)
韶関の歴史は古く10万年前には人類の活動が行われており、市内には旧石器時代以降の遺跡が点在している。春秋時代には荊州、揚州の管轄に置かれ、戦国時代では楚の勢力下に、秦代には南海郡の管轄に置かれた。前111年、前漢は現在の広東省北部に曲江県を設置し、韶関市の区域が管轄下に置かれた。
三国時代の265年(甘露元年)、呉は関東省北部に始興郡とその下部行政区域として曲江県などの6県を設置し、郡治を曲江(現在の市街地)に設置した。南朝以降は州郡が設置されるようになり、韶関市は衡州の管轄となった。そして隋代の589年(開皇9年)に州北部の名勝・韶石山に因み韶州と改称され、それ以降の王朝で韶州の名称が継承されて行くこととなる。明清代には現在の韶関市に税関が設置されたことから、韶関という通称が発生している。
中華民国初期は広東省南韶連綏靖区、南韶連道、嶺南道、南韶連行政区、北区、西北綏靖区、第二行政督察区等が相次いで設置された。国共内戦の結果中国共産党による支配が開始されると、1949年11月に広東省は北江臨時行政委員会を設置、韶関市や曲江県等の17県市を管轄とした。1950年1月に臨時委員会は北江専区に改称、1952年には粤北行政区へと会h源されている。1956年、粤北行政区が廃止されると韶関専区が設置され、1970年に韶関地区と改称、1975年11月に地級市として韶関市が再度改変され、曲江県を管轄するようになった。1983年に地方行政の合併が行われ、現在の行政区域が誕生している。
地理​:広東省の北部に位置し、河源市、恵州市、広州市、清遠市、江西省贛州市、湖南省郴州市に接する。
広東の北門とも称され古来より北方地域と華南を連絡する交通の要衝であった。京広線や京珠高速公路が市内を貫いており、南北を交通している。
韶関市は南嶺山脈の南麓(嶺南)にあり、地勢は山地・丘陵が主で、水の浸食により多くの谷が造成されてきた。市域内の主な山並みは東西方向に走っており、北から順に、蔚嶺、大庾嶺(だいゆれい)、瑤山、滑石山、青雲山などがある。各山系の間には多くの盆地があり、主要なものには南雄盆地、楽昌盆地、韶関盆地、翁源盆地などがある。
市域内の最高峰は石坑崆で高さは1,902メートルであり、広東省の最高峰でもある。韶関市区の北にある山脈の多くは岩石は紅色で地層がはっきりとしており、岩層の中には多くの古生物の化石が含まれている。こうした地貌は、韶関市内の仁化県にある丹霞山の名をとり「丹霞地貌」と命名されており、中国の南部を中心に広く見られる。韶関の名の由来となった韶石山は、丹霞山の南に隣接している。
韶関市域内の最も重要な河川は珠江の支流、北江(韶関市区より北では「湞江」と呼ばれる)であり、市域内の全長は144キロメートルになる。
韶関の気候は温暖湿潤で、年平均気温は20度前後であり、1月の気温がもっとも低く平均10度前後、7月の気温がもっとも高く平均気温は30度に達する。年降雨量は1,400-1,900ミリメートルで、春夏の降雨量が大きく、秋冬の雨は少ない。平均無霜期は310日だが、北部の山地では雪が降ることがある。
戻る
↑上へ商品紹介トップへ問い合わせ |